〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
姿 姫 路 清 十 郎 物 語

2012/07/11 (水) 太 鼓 に 寄 る 獅 子 舞 (一)

尾上おのへ の桜咲きて、人の妻の様子自慢、色ある娘は母の親ひけらかして、花は見ずに見られに行くのは今の世の人心ひとごころ なり。とかく、女は化物ばけもの姫路ひめぢ於佐賀部おさかべ ぎつね も、かへつて眉毛まつげ よまるべし。
但馬たじま の一家、春の野遊びとて、女中駕籠かご つらせて、あと より清十郎、よろずの見集めにつか はしける。高砂たかさご曾禰そね の松も若緑立ちて、砂浜の気色けしき 、又あるまじきなが めぞかし。里の童子わらんべ 、さらへ手ごと に落葉かきのけ、松露しようろ春子はるこ を取るなど、すみれ茅花つばな を抜きしや、それめづらしく、我もとりどりの若草、少し薄かりき所に、花莚はなむしろ毛氈もうせん 敷かせて、海原うなばら 静かに、夕日くれなゐ 、人々の袖をあらそひ、外の花見衆も藤・山吹はなんとも思はず、これなる小袖幕の内ゆかしく、のぞ きをくれて帰らん事を忘れ、樽の口を開けて、ゑひ は人間の楽しみ、万事なげやりて、 「この女中を今日のさかな とて、たんとうれしがりぬ。こなたには女酒盛さかもり 、男とては清十郎ばかり、下々したじた天目呑てんもくのみ に思ひ出申して、夢を胡蝶こてふ に負けず、広野ひろの を我が物にして、息杖いきづゑ 長く楽しみ、前後も知らずありける。

播磨の名所尾上 (加古郡上村) の桜が咲くと、花は見ずに人に見られに行こうとするのが今の世の人情である。器量自慢の人妻たちが妍を競うのをはじめ、美しい娘は母がつきそって見せびらかす。とかく女は化け物、姫路天守閣に住むという妖狐でさえ、人間の女に化かされるであろう。
さてこちらは但馬屋の一家。春の野遊びを女・子供にさせようと、女駕籠をつらねてくり出し、清十郎がよろず後見役となってつき従った。高砂や曽根のあたりでは、松の新芽がのび立って、白砂青松の美しさは比類なく、村のわらべ達が熊手をめいめい持って松の落葉をかきわけ、松露をさがすのもめずらしい。
やはて、若草のまばらな場所を選んで花むしろや毛氈を敷き、幕を張りめぐらした。海はあくまでも静かで、沈みかかる夕日の紅の色が女たちの着物と美しさをあらそう。居あわせた他の花見客は、これこそ今日の肴になるわいと、但馬屋の幕の内をうかがい、のぞき込みながら、酒樽の口をあけ、人間にのみ許される酔いを楽しんだ。幕の内では女たちの酒盛がひらかれ、男といっては清十郎ただ一人。駕篭かきどもは、茶碗酒に酔いしいれ、夢の中で胡蝶となった古人にまけないとばかり、広野をわがもの顔に長々と横たわり、前後不覚の状態だった。

その折から、人むら 立ちて、曲太鼓きょくだいこ大神楽だいかぐらきた り、おのおのの遊び所を見掛け、獅子頭ししがしら の身振り、さてもさても仕組みて、皆々立ちこぞりて、女は物見だけでなくて、ただ何事をも忘れ、ひたもの 「所望しよまう 所望」 と む事を惜しみけり。この獅子まひ もひとつ所を去らず、美曲びきよく のある程はつくしける。

折から大神楽の一行がやって来て、宴席客を相手に芸を始めた。曲太鼓をたたき、獅子舞をするのだが、さても巧みに仕組んだもので、たちまち人だかりがした。女はとくに物見だかく、夢中になって 「所望所望」 とさけび、芸の終わるのを惜しんだので、芸人一行もこれに応じてありたけの曲芸をやってみせようと意気込んだ。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:福島忠利 発行所:古川書房 ヨ リ
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