〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
姿 姫 路 清 十 郎 物 語

2012/07/11 (水) く け 帯 よ り あ ら は る る 文 (三)

あなたこなたの心入れ、清十郎身にしてはうれかな しく、内かた の勤めはほか になりて、諸分しよわけ の返事にひま なく、後にはこれもうたてくと、夢に目を明く風情ふぜい なるに、なほお夏、便よすが を求めて、かずかずの通はせ文、清十郎もやもやとなりて、御心にはしたがひながら、人目せはしき宿なればうまい事はなりがたく、瞋恚しんいたがひ に燃やし、両方恋にせめられ、次第しだい やせに、あたら姿の替わり行く月日のうちこそ是非ぜひ もなく、やうやう声を聞きあひけるを楽しみに、、 「命は物種ものだね 、この恋草のいつぞはなびきあへる事も」 と、心の通ひ路に、兄嫁のせき ゑ、毎夜の事を油断なく中戸なかど をさし、火の用心、めしあはせの車の音、神鳴かみなり よりは恐ろし。

あちらこちらからの心入れに接した清十郎は、うれしいばかりではなかった。いちいち恋文への返事を書くのもわずらわしく、折にふれて人生の悲哀も感じたが、そのうちに気疲れがかさなって、ときに夢にうなされるありさまとなった。
こうして清十郎は、しだいに店の勤めもおろそかになったが、それには美しいお夏がよすがを求め、心を尽くして、数々の恋文をよこした事も影響した。清十郎はついにお夏に動かされた。しかし、人目の多い家のことで、忍びあうことが出来ず、煩悩の火に責められ、恋情やつれて、むなしく月日の過ぎるのを嘆くほかなかった。
ようやく互いの声を聞きあえるのを楽しみにして、何事も命あっての物種というからには、生きていさえすればこの恋のとげられる日もあろうろ、心を通わせていたが、その両人のあいだに関を立てかまえるのが兄嫁であった。きびしく二人の仲を警戒し、毎夜を油断なく店と奥との中戸をさしかため、火の用心をしつつ引き合わせ式の車戸を閉め切るのだが、その音がお夏清十郎にとっては雷鳴よりおそろしく感ぜられた。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:福島忠利 発行所:古川書房 ヨ リ
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