〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
姿 姫 路 清 十 郎 物 語

2012/07/10 (火) く け 帯 よ り あ ら は る る 文 (一)

「やれ、今の事ぢやは、外科げくわ よ、気付きつけ よ」 とたち 騒ぐ程に、 「何事ぞ」 といへば、 「皆川自害じがい 」 と、皆々嘆きぬ。 「なだどうぞ」 いふうちに、脈があがるとや。さても是非ぜひ なき世や。
十日あまりも、この事をかくせば、清十郎死におくれて、つれなき人の命、母人の申しこされし一言に、惜しからぬ身をながらへ、永興院えいこうゐん を忍び出、同国姫路ひめじ によしみあれば、ひそかに立退たちの き、ここに尋ね行きしに、昔を思ひ出して、悪しくはあたらず、日数ふりけるうちに、但馬たじま 九右衛門といへる方に、見世みせ をまかする手代をたづねられしに、 「後々はよろしき事にも」 と、頼みにせし宿の肝煎きもい られて、はじめて奉公の身とはなりける。

皆川の自殺は、関係者の監視の目を盗んで行われた。 「たった今の自害だから、なんとか助けるすべはないか。医者を呼べや、気付薬をのませよ」 と、抱え主以下が八方手を尽くしたが、あれよあれよというまにこときれてしまった。はかない一生であった。
皆川の死は十日余りも隠された。清十郎を刺激しないようにとの配慮だったが、そのかいがあった。まったく死に遅れた感じの清十郎は、 「人の命は思うようにならないものです」 という母親の言葉にはげまされ、死んでも惜しくなった命をながらえたのだ。
永興院を立ち退くことにし、同じ播磨の姫路に縁故があるので、そこを訪ねた。実家の威光のせいで厚遇を受け、日数を重ねているうちによい勤め口がみつかる。ちょうど但馬屋九右衛門という家で、店の切り盛りを任せられるような手代を求めていたところ、 「あなたの身にむいている。将来の為にもよいでしょう」 と、寄宿先が仲に入って斡旋の労をとってくれたのだ。

人たるものの育ちいや しからず、こころ ざしやさしく、すぐれてかしこく、人の気に入るべき風俗なり。ことに、女の ける男振り、いつとなく身を捨て、恋にあきはて、明暮あけくれ 律義りちぎ かまへ勤めけるほどに、亭主ていしゆ も万事を任せ、金銀のたまるをうれしく、清十郎を末々頼みにせしに、九右衛門いもうと に、お夏といへるありける。その年十六まで、男の色好みて、今に定まる縁もなし。さればこの女、田舎にはいかにして、都にも素人しろうと 女には見たる事なし。 「この前、島原しまばら揚羽あげはちょう を紋付に付けし大夫たいふ ありしが、それに見増す程なる美形びぎやう 」 と、京の人の語りける。ひとつひとついふまでもなし、これになぞらへて思ふべし。なさけ の程もさぞあるべし。

清十郎はこうして初めて奉公人の身になったが、もともと育ちはいやしからず、気持はやさしく、生来かしこくもあったので、ひとの気にいられぬはずがなかった。とくに女に好かれる男ぶりだったのだが、勤めに打ち込むうちにいつとなく身のまわりを構わぬようになり、仕事一筋の律義さをみせた。そこで主人も万事の商いを任せて、上がる利益を楽しみに、行く末長く清十郎を頼みとするにいたった。
ところで、九右衛門に妹にお夏という娘があり、十六になるこの年まで男のより好みをして、今に定まる縁とてもなかった。それにつけてもお夏は、田舎はもちろんのこと、都でも素人女のなかには見られない垢ぬけた美人であった。今日の人びとは、「以前島原に揚羽の蝶を定紋にした有名な大夫がいたけれど、お夏はそれにみまさる美しさだ」 、と評した。細かい説明をしなくても、こう言っただけで容姿の想像がつくであろう。そして、お夏は、きっと情愛も深いであろうと察せられた。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:福島忠利 発行所:古川書房 ヨ リ
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