〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
姿 姫 路 清 十 郎 物 語

2012/07/08 (日) 恋 は 闇 夜 を 昼 の 国 (一)

春の海しづかに、宝舟の波枕なみまくら室津むろつ は、にぎはえる大みなと なり。
ここに酒つくれる商人ばいにん に、和泉いづみ 清左衛門といふあり。家栄えて、よろづに不足なし。しかも、男子に清十郎とて、自然と生まれつきて、昔男をうつし絵にもまさ り、そのさまうるはしく、女の きぬる風俗、十四の秋より色道しきだう に身をなし、この津の遊女八十七人ありしを、いづれか会はざるはなし。誓紙せいし 千束ちづか につもり、爪は手箱にあまり、切らせし黒髪は大綱おほづな になはせける。これには悋気りんき 深き女もつながるべし。毎日の届文とどけぶみ ひとつの山をなし、紋付もんつき の送り小袖そのままに重ね捨てし。三途さんづ 川のうば も、これを見たらば欲を離れ、高麗橋かうらいばし の古手屋も、ねうちはなるまじ。浮世蔵うきよぐら と、戸前とまへ書付かきつ けてつめ置きける。
「このたはけ、いつの世にあがりを くべし、追付おつつ勘当かんがう 帳に付けてしまふべし」 と、見る人これを嘆きしに、 めがたきはこの道、その頃は、皆川といへる女郎にあひ れ、大方おほかた ならず命に掛けて、人のそし り、世のとり 沙汰さた なんとも思はず、月夜に挑灯てうちん を昼ともさせ、座敷の立具たてぐ さし籠め、昼のない国をして遊ぶ所に、こざかしき太鼓たいこ ちをあまた集めて、番太が拍子木ひやうしぎ蝙蝠かうふり の鳴きまね、遣手やりて門茶かどちや を焼かせて、歌念仏を申し、死にもせぬ久五郎がためとて、尊霊そんりやうたな を祭り、楊枝やうじ 燃やして送り火の影、よる するほどの事をしつくして後は、世界の にある裸島はだかじま とて、家内やうち のこらず、女郎はいやがれど、無理に帷子かたびら ぬがせて、肌の見ゆるを恥ぢける。中にも、吉崎よしさき といへる十五かこひ 女郎、年月かくしきた りし腰骨の白なまづ見付けて、 「生きながらの弁財天べんざいてん 様」 と、座中おが みて興 めける。そのほか 、気をつくる程見苦しく、後は次第にしらけてをかしからず。

春に海はしずかに、宝船が波を枕に碇を下ろして、播磨国室津はなかなか賑やかな大港である。ここに酒造りを商売とする和泉清左衛門という者があった。家が栄えて、万事に不足なく、しかも跡取り息子に清十郎という者がいて、もって生まれた男振りは、業平なりひら の絵姿よりもすぐれていた。
だが、女好きのする美男子ゆえに、十四の秋から放蕩ほうとう に身をもちくずし、室津の色里に遊女が八十七人いたのを、いつとはなく関係をもたぬ女がなくなった。かの女たちのよこした誓いの手紙は数え切れぬ束になり、誓いの爪は手箱にあふれた。また切らせた黒髪は、大綱をなうこともできるほど多かったが、この情愛の綱を見れば、いかに嫉妬深い女でもほろりとして心をつながれるであろう。
毎日遊女から届く手紙がすぐ山のようになり、遊女の贈り物である紋付小袖の数も多かったので、蔵に詰め込んだ。三途の川のたつ 衣婆えば も、積み重ねたぼう大な小袖を見ればあきれて衣を剥ぐ欲がうすれ、大坂高麗橋の古着屋でも、あまりの多さに値段のつけようがあるまい。蔵の戸口に 「浮世蔵」 と書き付けたのを見て、 「このたわけ者がいつになったら商いの道にもどるのか。このままでは、おっつけ公儀の勘当帳にのるのにxひがいあるまい」 と、世間の人が心配してくれた。
でもやめがたいのは色道である。そのころ清十郎は皆川という女郎になじんでいたが、一方ならない仲ににって命までもとちぎり、ひとのそしりや世間の評判をなんとも思わず、月夜に提灯どころか、まつ昼間に座敷の建具を閉めきって灯りをともさせ、昼の国の遊びをして、たわむれた。
こざかしい太鼓持たちを集めて、町を夜警する拍子木の音や、蝙蝠こうもり の鳴き声をまねさせ、やり手婆に門茶かどちゃ をたかせ、歌念仏を唱えさせ、死にもせぬ下男の供養と称して精霊棚をまつり、おがらの代わりに楊枝ようじ をもやして送り火の影をつくりだす。
夜にするほどの事をしつくしたあとは、世界絵図に記載のある裸島をかたどるのだといって、いあわせた者たちを全部裸にした。 いやがる女郎もムリヤリに着物を脱がせたので、かの女たちといえども肌を見られるのを恥じた。なかでも吉崎というかこい女郎の場合に、長年本人が隠しつづけた腰骨のあたりの白い斑点 (白なまず) を人が見つけて、 「生きながらの弁財天さま」 と一座の者が拝んだのは、かえって興をさました。座が白け始めると、ますますこの場の見苦しさによく気がつくようになり、さいごには面白くもなんともなくなった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:福島忠利 発行所:古川書房 ヨ リ
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