仁安
三年秋の頃、西行さいぎやう 法師ほふし
、諸国修行しけるが、四国の辺地へんぢ
を巡見の時、讃岐に渡り、白峯しろみね
の御墓に尋ね参りて、拝はい し奉れば、わづかに方形はうぎやう
の構へを結び置くといへども、荒廃くわうはい
の後、修造しゆざう の功こ
をも致さず、曲かがま がり破れて、蔦つた
・葛くず の這は
ひ懸か かるばかりなり。況いはん
や、法花ほつけ 三昧ざんまい
勤むる禅衆ぜんしつ もなければ、三磬さんけい
の響きも聞えず。おのづから言こと
問ひ参る人も絶えたれば、道踏み分けたる方かた
もなし。ただ棘いばら ・葎むぐら
垣かき をなし、浅茅あさぢ
・蓬よもぎ 跡あと
を閉と じ、西行さいぎやう
、小硯こすずり 取り出して、辺あた
りの松を削けづ りて、泣く泣く書き付けける。 |
昔十善じふぜん
万乗ばんじよう の主しゆ
、錦帳きんちやう を北闕ほつけつ
の月に輝かがや かし、 今懐土くわいと
望郷ぼうきやう の魂たましひ
、玉躰ぎよくたい を南海の俗に混こん
ず。 露を払ひて跡を尋ぬれば、秋草しうさう
泣きて涙を添へ、 嵐に向ひて君を問へば、老檜ろうくわい
悲しみて心を傷いた ましむ。 仏儀ぶつぎ
見えずして、ただ朝雲夕月てううんせきげつ
を看み る。 法音ほふおん
聞えずして、ただ松響しようけい
鳥語ていご を聴き
く。 軒傾きて暁風げうふう
猶なほ 危あや
ふく、甍いらか 破やぶ
れて夜の雨防ふせ ぎ難がた
し。 みがかれし 玉の台うてな
を露深き 露つゆ 深ふか
き 野辺のべ にうつして 見るぞかなしき |
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仁安三年秋の頃、西行法師は諸国修行したが、四国の片田舎を見歩いた時、讃岐に渡り、白峰の御墓に尋ね参って拝んだところ、わずかに方形の構えを結い置くだけであったが、すっかり荒廃して、修理もしていないようなありさまで、曲がり破れて、蔦や葛が這いかかっている。まして、法華三昧を勤める禅衆もいないので、法螺貝や鉦の音も聞こえない。後夜晨朝に念仏する僧侶もいないので、
三磬の音も響くことはない。これまでも稀なことであった、お参りする人もすっかり絶えてしまい、道を踏み分けた跡がなく、どこが道か見分けがつかない。ただ、棘や葎が這い回って垣根となり、浅茅や蓬が生い茂って道を閉ざしいる。西行は小硯を取り出して、辺りの松を削って、泣く泣く次のことを書き付けた。 | 昔は天皇として、宮中で華麗な日々を過ごしたのに、今は望郷の思い強い魂となって、南海の俗に紛れ込んでしまっている。露を払って御跡を尋ねるも、秋草は茂って露に涙が連れ添う。嵐吹く中君を弔えば、老檜の葉ずれの音は悲しみを伝えるようで、心が痛む。仏儀は目に入らず、ただ朝雲夕月を見る。法音を聞くことはなく、ただ、松吹く風の音と鳥の声が聞こえてくる。軒は傾いて暁の風に吹き飛ばされそうであやうい。甍は破れて夜の雨を防ぐこと難しい。 宮中で華麗なお姿を見慣れていただけに、かくも露深き片田舎の野辺でお会いすることになろうとはなんと悲しいことよ |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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