〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/18 (月) 新院御経沈めの事 付けたり 崩御の事 (五)

新院、これをきこ し召されて、 「口惜しき事ござんなれ。日本てう にも限らず、天竺てんぢく震旦しんだん鬼海きかい高麗かうらい谿丹国けいたんごく に至るまで、位をあらそ ひ、国をきそ ひて、兄弟合戦をいたし、叔父をぢをひ いくさ を起こすためしも多かりけれども、昔も今も習ひあるなれども、時移り、事去りて、罪を謝し、とがなだ めらるるは、王道わうだう の恵み、無偏むへん の情けなり、いかいはん や、出家入道しゆつけにふだう して、菩提のため仏経ぶつきやう を修読するをば、皆ゆる されてこそありしか。後世ごせ の為にとて書き奉りたる大乗経だいじようぎやう敷地しきぢ をだにも惜しまるるには、さては後世までのなげ きござんなれ。さらんおいては、われ 生きても無益むやく なり」 とて、その後は、御ぐし をも されず、御爪をも やさせたまはず、生きながら天狗の姿にならせたまふぞあさましき。

新院は、このことをお聞きになり、 「残念なことよ。日本吾が朝だけでなく、天竺、震旦、鬼海、高麗、谿丹国に至るまで、皇位や国を争い、兄弟で合戦をし、叔父と甥が戦する例は多く、昔も今もよくあることだが、時移り事去り、罪を謝し、咎を許されるのは王道の恵みにして、無辺の情けである。まして、出家入道して菩提に為に経典を修読する者は皆許されて来たはずなのに、後世のためにとて書いた大乗経を安置する敷地さえ許されないとは、これからずっと嘆き続けてゆかねばならない。これ以上、自分は生きても無益だ」 と言って、その後は、髪を剃ることもなく、爪も切らず、生きたまま天狗の姿におなりになったのは嘆かわしいことである。

この事、都に聞えしかば、 「御有様ありさま 、見奉りてまゐ れ」 とて、へい 左衛門尉さゑもんのじやう 康頼やすより を下されける。
康頼、島に渡りて、 「御使ひとして参りたる」 由奏し申しければ、 「近く参れ」 とおほ せらる。康頼、明障子あかりしやうじ を引き けて、見奉りければ、御ぐし 、御つめ 長々と やさせたまひ、すすけかへたるかき の御ころも に御色黄ばみ、御目青くくぼませたまふ。おとろ へさせたまひて、荒気あらけ なき御声にて、 「われ違勅ゐちよく の責めのががた くして、既に断罪のはふふく す。しか りといへども、今においては、恩赦を承るべきの由、あなが ちに申すといへども、 へて御許容無きあひだ、志しのがたあま り、不慮ふりよ行業ぎやうごふくはだ つるなり」 とおほごと ありける御気色きしよく 、身の毛よ立ち、物すさま じかりければ、康頼、一言いちごん をも申し述べず、あまつさ へ退出してんげり。

このことが都にも伝わり、 「ご様子を見て参れ」 と命じて、平左衛門尉康頼が遣わされた。
康頼は島に渡って、都からの御使いとして参ったことを申し上げたところ、 「近く寄れ」 とおっしゃる。康頼は明かり障子を引き開けてうかがったところ、御髪、御爪が長々と生えており、すすけた柿色の御衣を着て、顔は黄ばに、御目は青くくぼんでいる。やせ衰えて、荒々しい御声で、 「自分は違勅の罪を遁れられず、はや断罪の法に従った。しかし、今は、恩赦にあずかりたく強く申し入れたが、お許しが得られないので、どうにもこらえきれず、意外とも思われる行業を企てた」 とおっしゃるご様子は、身の毛もよだちすさまじかったので、康頼は一言の返事も出来ぬばかりか、そのまま退出してしまった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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