〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/17 (日) 新院御経沈めの事 付けたり 崩御の事 (四)

今生こんじやう はしそん じつ、後生ごしやう 菩提ぼだい の御ため にとて、御指の先より血をあやし、三年が間、五部の大乗経だいじようきやう を御自筆に遊ばさりたりけるを、 「かかる遠島に置き奉る事いたはしければ、鳥羽とば八幡やはた 辺にも納め奉るべき」 由、御室おむろ の御所へ申させたまひける。そも御書に云はく、
故宮こくう を離れ、思ひを他郷たきやう雲路うんろ に送る。
槐門くわいもん 宗廟そうべう の窓とし、玉躰ぎよくたい 遊宴いうえんこころ を休め、
離宮りきゆう 懐土くわいど の波をくだ きて、江南かうなん 哀傷あいしやう の声を加ふ。
しか るに、あらし 松の梢を払ひて、独苑どくえん暁月げうげつ を見、
きり の葉をうるほ して、廃帝はいたい夕露せきろ を悲しむ。
たまたま 旅州りよしう白日はくじつ に伴ひて、悲泣ひきふうれ へを す。
いか でか旧京に帰て、再び白玉はくぎよく聖軌せいき さん。
西山せいざん の傾きて、都城としやう 雲上うんじやう 夜景やけい の詠、思ひ ださる。
辰角しんかく に出でて、雲客うんかく きよう 甚し。
早く烟蓬屋哀啼えんほうをくあいてい究衰くすい を忘れ、速やかにさん 菩提ぼだい の月をもてあそ ぶ。
 はま 千鳥ちどり  跡は都に通へども  身は松山に  をのみぞ鳴く
御室おむろ法親王ほつしんわう 、これを見まゐ らせたまひて、御涙を流させたまひ、関白殿と様々やうやう り申させたまひしかども、少納言せうなごん 入道にふだう 信西しんぜい 、 「御身は配所にとど まらせたまひ、御手跡しゆせき ばかり都へ帰り入らせたまはん事、いまいましくおぼ え候ふ。その上、いかなる御願ごぐわん にてや候ふらん、おぼつかなし」 と申しければ、主上しゆしやう 、「 にも」 とやおぼ されけん、御ゆる されなかりけるあひだ、力及ばせたまはず。

今生はうまくゆかなかった。ここはひとつ後生菩提のためにと考えて、指先から血を滴らせて、三年かかって、五部の 『大乗経』 をこの血をもって自ら写経されたのを、 このような遠島に置いておくのも心苦しいので、鳥羽は八幡の辺にでも奉納したい」 との旨を御室の御所へ申し伝えた。その御書状に言うには、次の通り。

吾、都を離れて、望郷の思いやみがたい。むかい昔は朝廷に君臨してほしいままにしていた遊宴もなくなり、今は望郷の思いにさいなまれて哀傷の声をあげるのみ。嵐は松の梢を払い、独り暁の月を見る。雨は桐の葉にそそぎかかり、我、帝を廃されて夕露に悲しむ。まれにこの地の陽に照らされて、悲泣の愁いをいやす。都の帰り得て、再び聖軌をなすなど考えてもみない。月は西山に傾き、都城にて雲上の夜景の詠を思い出す。陽は辰角に昇り、雲客の興のことははや忘れてしまった。粗末な家屋にての悲哀のきわみ、早く菩提の月を賞でたきもの。
浜千鳥は自由に都の方に飛び行くが、我はこの松山に留まり、ただ望郷の思いにさいなまれ、涙するのみ

御室の法親王はこの御書状を拝して涙を流し、関白殿とあれこれ画策したが、少納言入道信西が、 「御身は配所に留まり、御書状だけ都に帰り入るなど不吉のきわまりない。そのうえ、どんな御願いなのか気がかりだ」 と言う以上、主上も同意なさったのか、お許しがなく、どうしようもない。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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