今生
はし損そん じつ、後生ごしやう
菩提ぼだい の御為ため
にとて、御指の先より血をあやし、三年が間、五部の大乗経だいじようきやう
を御自筆に遊ばさりたりけるを、 「かかる遠島に置き奉る事いたはしければ、鳥羽とば
・八幡やはた 辺にも納め奉るべき」
由、御室おむろ の御所へ申させたまひける。そも御書に云はく、 |
吾故宮こくう
を離れ、思ひを他郷たきやう の雲路うんろ
に送る。 昔槐門くわいもん
宗廟そうべう の窓とし、玉躰ぎよくたい
遊宴いうえん の意こころ
を休め、 今離宮りきゆう
懐土くわいど の波を摧くだ
きて、江南かうなん 哀傷あいしやう
の声を加ふ。 然しか るに、嵐あらし
松の梢を払ひて、独苑どくえん
に暁月げうげつ を見、 雨桐きり
の葉を瀝うるほ して、廃帝はいたい
に夕露せきろ を悲しむ。 適たまたま 旅州りよしう
の白日はくじつ に伴ひて、悲泣ひきふ
の愁うれ へを銷け
す。 争いか でか旧京に帰て、再び白玉はくぎよく
の聖軌せいき を作な
さん。 月西山せいざん
の傾きて、都城としやう 雲上うんじやう
夜景やけい の詠、思ひ出い
ださる。 日ひ 辰角しんかく
に出でて、雲客うんかく 興きよう
甚し。 早く烟蓬屋哀啼えんほうをくあいていの究衰くすい
を忘れ、速やかに三さん 菩提ぼだい
の月を翫もてあそ ぶ。 浜はま
千鳥ちどり 跡は都に通へども 身は松山に 音ね
をのみぞ鳴く |
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御室おむろ
の法親王ほつしんわう 、これを見進まゐ
らせたまひて、御涙を流させたまひ、関白殿と様々やうやう
に執と り申させたまひしかども、少納言せうなごん
入道にふだう 信西しんぜい
、 「御身は配所に留とど まらせたまひ、御手跡しゆせき
ばかり都へ帰り入らせたまはん事、いまいましく思おぼ
え候ふ。その上、いかなる御願ごぐわん
にてや候ふらん、おぼつかなし」 と申しければ、主上しゆしやう
、「実げ にも」 とや思おぼ
し召め されけん、御免ゆる
されなかりけるあひだ、力及ばせたまはず。 |
今生はうまくゆかなかった。ここはひとつ後生菩提のためにと考えて、指先から血を滴らせて、三年かかって、五部の
『大乗経』 をこの血をもって自ら写経されたのを、 このような遠島に置いておくのも心苦しいので、鳥羽は八幡の辺にでも奉納したい」 との旨を御室の御所へ申し伝えた。その御書状に言うには、次の通り。 | 吾、都を離れて、望郷の思いやみがたい。むかい昔は朝廷に君臨してほしいままにしていた遊宴もなくなり、今は望郷の思いにさいなまれて哀傷の声をあげるのみ。嵐は松の梢を払い、独り暁の月を見る。雨は桐の葉にそそぎかかり、我、帝を廃されて夕露に悲しむ。まれにこの地の陽に照らされて、悲泣の愁いをいやす。都の帰り得て、再び聖軌をなすなど考えてもみない。月は西山に傾き、都城にて雲上の夜景の詠を思い出す。陽は辰角に昇り、雲客の興のことははや忘れてしまった。粗末な家屋にての悲哀のきわみ、早く菩提の月を賞でたきもの。 浜千鳥は自由に都の方に飛び行くが、我はこの松山に留まり、ただ望郷の思いにさいなまれ、涙するのみ
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| 御室の法親王はこの御書状を拝して涙を流し、関白殿とあれこれ画策したが、少納言入道信西が、
「御身は配所に留まり、御書状だけ都に帰り入るなど不吉のきわまりない。そのうえ、どんな御願いなのか気がかりだ」 と言う以上、主上も同意なさったのか、お許しがなく、どうしようもない。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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