慣れぬ田舎の籠居、いかばかりのことであろうか。秋もだんだん深まるにつけ、悲しさはつのるばかりであった。垣根の下で鳴いている虫の音も日に日に弱り、松吹く風の音も、夜毎に身にしむころとなり、わずかばかりの付き添いの女房も、嘆き沈んで、ただ泣くより外なかった。折に触れ、時に従って、辛かったはずの都のことを恋しく思った。このように流す涙の雨で、木々の梢も紅葉するのかと思われるほどであった。新院は、これまでのことをよくよく思い返して、
「自分は天孫の後裔として、即位した。太上天皇の尊号を受け、仙洞に君臨もした。故院御在世のころであったので、政治を執行することはなかったが、それにしても、なつかしく思い出すことがないわけではない。春は春の遊びにつけ、秋は秋の趣を楽しんだ。あるいは金谷の花を賞で、あるいは南楼の月を賞で、三十八歳の歳月を送った。今静かにこれまでのことを振り返ると、まるで昨日の夢のことのように鮮明である。どんな罪の報いでも遠島に流されて、こんな愁いに沈まねばならないというのだろう。都とは南北に隔たる所ではないので、雁の翼に手紙を付けて、わが思いを述べる手立てもない。陰陽の変を見分けることが出来ないので、烏の頭が白くなり、馬に角が生えるとかなえられるという名誉回復の時期がいつになるとも知ることが出来ない。ただ、都恋しさのやむ時はなく、望郷の鬼となってしまいそうだ。嵯峨天皇の御代、平城先帝は謀叛を企てたが、直ちに出家なさったので、遠流にまで処せられる事はなかった。ましてや、今の天皇は、自分が在位の時は不憫に思い養育したではないか。その昔の恩を忘れて、このような過酷な罪に処するなど、情けないことだ」
と恨んだ。 |