〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/16 (土) 新院御経沈めの事 付けたり 崩御の事 (三)

らはぬひな籠居ろうきよ 、ただはか るべし。秋もやうやう け行けば、いとど物こそ悲しけれ。まがきうら むる虫の も、日に随ひて弱り き、松吹く風のおと もまた、夜毎よごと に身にころ なれば、わづ かに候ふ女房にようぼう たちも、臥し沈みて、ただ泣くよりほか の事ぞなき。折に触れ、時に従ひては、 かりし都ぞ恋ひらるる。さるままには、涙の雨のくれなゐ に、木々のこずゑ も染めぬべし。倩々つらつら 思ひ続けられけるは、 「われあま御孫みまご苗裔べうえい けて、天子のくらゐ めり。太上天皇だいじやうてんわう の尊号をかたじけなくして、久しく紛陽ふんやうきよ めき。故院こいん 御在世のあひだ なりしかば、万機ばんきまつりごと り行はずといへども、さすが、また、思ひいで なきにあらず。春は春の遊びにつけ、秋は秋の興をもつぱ らにす。ある いは金谷きんこく の花をもてあそ び、或いは南楼なんろう の月を詠じて、三十八くわい を送れり。しづ かに往事わうじ をを思へば、ただ昨日の夢のごとし。いかなる罪の報いにて、遠島ゑんたうはな たれて、かかる思ひに沈むらん。さかひ 南北にあらざれば、かりつばさふみ け、思ひを述ぶるわざ もなし。陰陽いんやうへんわか たざれば、からすかしら 白くなり、むまつの ひんずる、その もいつと知りがたし。ただ、懐土くわいど の思ひ絶えずして、望郷ぼうきやう の鬼とぞ成らんずらん。嵯峨さが 天皇てんわう の御時、平城へいぜい先帝せんてい 、世を乱りたまひしかども、すなは ち出家したまひしかば、遠流をんる まではなかりしぞかし。いはん や、当帝たうだい は、 が在位の時は、いとほしみ奉り、はぐ くみまゐ らせしものを。その昔の恩をもおぼわす れて、からき罪に行はる、こころ し」 とぞ思し召されける。

慣れぬ田舎の籠居、いかばかりのことであろうか。秋もだんだん深まるにつけ、悲しさはつのるばかりであった。垣根の下で鳴いている虫の音も日に日に弱り、松吹く風の音も、夜毎に身にしむころとなり、わずかばかりの付き添いの女房も、嘆き沈んで、ただ泣くより外なかった。折に触れ、時に従って、辛かったはずの都のことを恋しく思った。このように流す涙の雨で、木々の梢も紅葉するのかと思われるほどであった。新院は、これまでのことをよくよく思い返して、 「自分は天孫の後裔として、即位した。太上天皇の尊号を受け、仙洞に君臨もした。故院御在世のころであったので、政治を執行することはなかったが、それにしても、なつかしく思い出すことがないわけではない。春は春の遊びにつけ、秋は秋の趣を楽しんだ。あるいは金谷の花を賞で、あるいは南楼の月を賞で、三十八歳の歳月を送った。今静かにこれまでのことを振り返ると、まるで昨日の夢のことのように鮮明である。どんな罪の報いでも遠島に流されて、こんな愁いに沈まねばならないというのだろう。都とは南北に隔たる所ではないので、雁の翼に手紙を付けて、わが思いを述べる手立てもない。陰陽の変を見分けることが出来ないので、烏の頭が白くなり、馬に角が生えるとかなえられるという名誉回復の時期がいつになるとも知ることが出来ない。ただ、都恋しさのやむ時はなく、望郷の鬼となってしまいそうだ。嵯峨天皇の御代、平城先帝は謀叛を企てたが、直ちに出家なさったので、遠流にまで処せられる事はなかった。ましてや、今の天皇は、自分が在位の時は不憫に思い養育したではないか。その昔の恩を忘れて、このような過酷な罪に処するなど、情けないことだ」 と恨んだ。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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