〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/14 (木) 為朝生捕り遠流に処せられる事 (一)

そもそも新院しんいん の御かた には、左大臣殿さだいじんどのたけ き事を行ひたまひ、為義ためよし忠正ただまさ 等、命を捨つべきよしののし り申す。為朝ためとも が有様、悪鬼あつき悪神あくじん などのごとくにて、多くの人種ひとだね せ、朝家てうかう をもかたぶ け奉るべきかなど、おびただしくこそ聞えしかども、程なく め落とされて、君も臣も へてべち の事なくおはしまし、結局けつく左府さふ流矢ながれやあた りたまふ。新院配所はいしよ へ赴かせおはしまし、凶徒きようとちゆう せられ、ある いは国々へ流罪るざい せられき。まこと神明三宝しんめいさんぽう の御はか らひと ひながら、ただ事にはあらざりけるにや。天子の御守りは海外にありといふ、この事まこと なるかな。

新院方では、左大臣殿が大変なことをしでかし、為義や忠正らが命を失ってしまったことが騒がしく言い立てられる。為朝の戦うさまは悪鬼や悪神のようで、多くの人が絶え失せ、今にも朝家を亡ぼすなどもっぱらの噂であったが、間もなく攻め落とされて、君も臣もご無事であられ、、結局のところ、左府は流れ矢に当ってしまった。新院は配所に赴き、謀叛の輩は皆殺されたり、あるいは諸国に流罪となった。まことに神仏の計らいとはいいながら、ただ事ではない。天子の御守りは海外にありというが、本当のことだ。

今度の合戦のてい内裏だいり には信西が計らひに随はせおはしまし、信西は義朝よしとも が計らひに随ひけるあひだ、首尾相応して、つひ泰平たいへいいた しき。院は左府の計らひに随ひおはしますといへども、左府は為朝に従はざりければ、かみ の心にしも 通ぜずして、つひ に滅亡に及ぶ。されば、上下あひ ひて、天下てんが を治むべしと見えたり。 「もし、左大臣殿、為朝が計らひに随ひたまひたりせば、いかがはあらまし」 と、万人舌を振り合へり。

今度の合戦のさま、天皇は信西の戦略に従い、信西はまた義朝の戦略に従って意見の統一がはかられて、無事であった。一方、院は左府の戦略に従ったが、左府が為朝の戦略に従わなかったので、上に立つ者の考えが下々の者に通じず、ついに滅んでしまった。だから、上に立つ者、下々の者が心を合わせて、はじめて治まることは明らかである。 「もし、左大臣殿が為朝の戦略を取り上げたなら、合戦の成り行きはどうなっただろうか」 などと人々は恐ろしげに噂しあった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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