同じき廿五日、悪
左府さふ の死生ししやう
の実否じつぷ を実検じつけん
のために、官使くわんし 一人いちにん
、滝口たきぐち 三人、さし遣つか
はさる。官使は左史生さししやう
中原なかはら 惟則これのり
、滝口は師光もろみつ ・資行すけゆき
・能盛よしもり なり。彼か
の所は、大和国やまとのくに 添上郡そふのかみこほり
川上村かはかみのむら 般若野はんにやの
の五ご 三昧さんまい
なり。大路おほぢ より東へ入る事一町余いつちやうよ
、玄円げんゑん 律師りつし
・実済じつせい 得業とくごふ
が墓のなほ東、曲ゆが める松の下に新しきこそそそれなりけれ、これを掘り穿うが
ちて、見ければ、死骸しがい 僅わづ
かに続きて、背中うしろ に肉ししむら
少し残りたれども、その正体とも見え分かず、相替あいかは
りぬれば、埋うづ むに及ばず、滝口、ともに打ち捨ててこそ帰れけれ。
|
同二十五日、悪左府の死は事実であるかを調査するため、官使一人滝口の武士三人が遣わされた。官使は左史生中原惟則、滝口は師光・資行・能盛である。所は、大和国添上郡川上村般若野の五三昧である。大路から東へ一町余り入った所、玄円律師と実済得業の墓よりなお東、ゆがんだ松の下の新しいのがそれである。そこを掘ったところ、わずかに死骸はつながり、背後の肉は少し残っていたが、誰の死骸か見分けがつかないように姿が変っていたので、滝口たちは埋め直すこともせず、そのまま打ち捨てて帰った。
|
|
この左大臣殿は、容顔ようがん
美麗びれい の誉ほま
れ、天下に聞えたまひしに、今日の有様こそあさましけれ。縦たと
ひ御不審相あひ 残のこ
るといふとも、且かつう は三台槐門さんたいくわいもん
の家に生まれ、且かつう は丞相しようじやう
大臣だいじん の墳墓を忽たちま
ちに掘り穿うが ちて、死骸しがい
を実検せられける事、いたはしく、情けなくこそ聞きこ
えし。前世ぜんせ の宿業しゅくごふ
力無しといへども、当時の現業げんごふ
顕あらは れて、生きての恥、死しての恥、返す返すも口惜くちを
しかりし事どもなり。 |
この左大臣殿は、容貌まことに麗しいとの評判が天下に知れわたってうただけに、今日のありさまは異様である。たとい、誰の死骸か不審残るとはいっても、三台槐門の家に生まれ、一方ではまた丞相大臣でいらっしゃる方の墳墓を突然掘りおこして、死骸を調査するなど、あまりにいたわしく、情けないことと噂された。前世の宿業とあれば仕方ないことであるが、現世の業がたちまちあらわれて、生きての恥死んでの恥、ともに受けたのは、かえすがえす残念なことである。 |
|
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
リ |