新院、御船に召されければ、内裏の御使ひ、御船の屋形
に押し籠こ め奉り、四方を打ち付け、外と
より鎖じやう をぞ鎖さ
してける。女房たち、今朝仁和寺にんわじ
殿どの を出い
でさせおはしまつるやうに、喚を
き悲しみたまひけり。道すがら、浦々うらうら
島々しまじま をも御覧じて、慰なぐさ
ませたまふべきに、御船の屋形の戸をも開かねば、月日の光も隔たりぬ。浪なみ
の声、風の音ばかり、御耳の外よそ
にぞ聞し召す。 「ここは須磨すま
の関屋せきや 」 と申しければ、
「行平中納言ゆきひらのちゅうなごんの流されて、いかなる罪の報いにや、
『藻も 塩しほ
垂た れつつ』 と詠なが
めけん所にこそ」 と思し召し、 「かれは淡路あはぢ
の絵島えしま 」 と申しければ、
「大炊おほひ の廃帝はいたい
の移うつ されて、いく程もなくて隠れさせたまひけん所にこそ」
と知し ろし召め
す。今は御身一つに思し召し知られて哀れなり。 |
新院が御船に乗ったところ、内裏の御使いは新院を船の屋形に押し籠め、四方を打ち付けて、外から鎖を差した。女房たちは、今朝、仁和寺殿を出発なさった時と同じように泣き叫んだ。道中、浦々島々をもご覧になってお心を慰めなさるはずが、船の屋形の戸を開けないので月光、日光ともに入らない。浪の音、風の音だけが聞こえるだけだった。
「ここには須磨の関屋」 と教えたところ、 「行平中納言が流罪に処せられて、どんな罪の報いか、 『藻塩たれつつ』 と和歌を詠んだ所はここか」 と思い出され、
「あそこは淡路の絵島」 と申し上げると、 「大炊の廃帝が配流になり、間もなく亡くなられたのはあそこか」 とおわかりの様子であった。今はすべてご自身の身の上に重ねて思い出しているあたりお気の毒なことである。 |
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日数の積もるままに、都はいよいよ遠ざかり、遠国をんごく
は次第に近付きぬ。事に触ふ れ、所に従ひ、ただ御心細くぞ思し召されける。況いは
や、一宮いちのみや 重仁しげひと
親王の行く末もおぼつかなし。一日ひとひ
、白河殿しらかはどの 合戦の庭には
より、煙の中を掻か き分けて迷ひ出い
でし女房たち、志賀しがの 山越やまごえ
・三井みい 寺でら
などへこそと思し召されしかども、その音信おとづれ
も聞きこ し召め
されず。今はこの世にては再び思ひあはせましますまじければ、ただ生しやう
を隔つるがごとくにぞ思し召されける。さるにつけては、 「何なに
しに今までかかる思ひに咽むせ
ぶらん。ただ彼か の水の泡とも消え、底の水屑みずく
にも類たぐ ひなばや」 と思し召す。古いにしへ
、大井川おほゐがわ の逍遥せうえう
には、竜頭鷁首りゅうどうげきしゆ
の御船を浮かべて、錦にしき の纜ともづな
を解と き、王公卿相わうくうげいしやう
囲?ゐねう して、詩歌しいか
管絃くわんげん の興きよう
を催もよほ し、花を挿頭かざ
し、紅葉を折り、暮れ行く空をいとはせたなひしに、今はまた引き替へて、艫舳ともへ
切れたる小船のめしすゑ屋形に埋うづ
もれさせたまひつつ、南海なんかい
渺茫べうばう たる旅泊に漂ただよ
はせたまひける。宿執しゆくしふ
のほどこそあさましけれ。 |
日数もたって、都はますます遠ざかり、遠国にも次第に近付いた。事に触れ、所に従い、ただお心細くお思いであった。まして、第一皇子重仁親王がどうなったか気がかりでもあった。なた、先日、白河殿合戦のさなか、火炎の煙の中をかき分けて迷い出た女房たちは、志賀山越や三井寺に逃げ込んだかと思ってみたものの、以後その消息を聞かない。今はこの世では再び心通わすことも出来そうになく、ただ生を異にしているようにお思いになる。それにつれて、
「どうして、このようなことを思い出して悲しみにふけるのだろう。もう水の泡と消え、水の底の屑になってしまいたい」 とお思いになった。昔は、大井川の逍遥には竜頭鷁首の御船を浮かべ、錦のともづなを解き、王公卿相に囲まれて、詩歌管絃の会を催し、桜をかざし、紅葉を折り、暮れ行く空を興ざめなことと残念がられたものなのに、今は、引き換え、艫舳の切れた小船に乗り、屋形に閉じこもったまま、南海渺茫とした旅泊にただよっているご様子、宿執の程嘆かわしい。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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