〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/13 (水) 新 院 讃 州 に 御 遷 幸 の 事 (四)

新院、都を でおはしましける折節おりふし 、都に不思議の事 で来る。源氏左馬頭さまのかみ 義朝よしとも 、平氏播磨守はりまのかみ 清盛きよもり 、合戦すべしと披露して、京中には白印しろじるし赤印あかじるしつはもの ども、東西へ せ違ひ、町小路まちこうぢ には塵灰ちりはい蹴立けた てて、資財しざい 雑具ざふぐ を持ち運び、騒ぎ合ひ、 「今度ぞ世は せたまひなんず」 と申し合へり。公卿くぎやう殿上人でんじやうびと 、内裏へ馳せ参りて、手の舞ひ、足の踏み も知らず。これの って、信西しんぜい綸命りんめいうけたまは り、本所ほんじよ の衆をれう の御馬に乗せて、両方へおほ せ下されけるは、 「各々おのおの 存知ぞんぢむね あらば、子細を奏聞そうもん して、聖断せいだんあふ ぐべき処に、わたくし諍論じやうろんいた さんと し、武士ちまた に充満する由、天聴てんちやう を驚かし、叡聞えいぶん に及ぶでうはなは ってしか るべからず。すみ やかに狼藉らうぜきしづ むべき」 由、仰せ下されければ、両人共に跡形あとかた なきよしちん じ申す。 「いかなる天魔てんま所行しよぎやう にて、人のきも をつぶすらん」 とぞ申し合へる。

新院が都をご出発になられる時、都では不思議な事件が出来した。源氏左馬頭義朝と平氏播磨守清盛が合戦するにちがいないとの情報が飛び交って、京中、白印と赤印の兵ごもが東西に馳せ違い、町小路では塵灰をまき散らして、資財雑具を持ち運びするなど騒ぎ合って、 「今度はきっと世は失せてしまうに違いない」 と噂しあった。公卿、殿上人は内裏へ馳せ参り、大混雑であった。。そこで信西は、天皇の命令をいただいたうえ、蔵人所の衆を寮の御馬に乗せて、源平両方へ、 「おのおの考えがあるのなら、そのことを奏上して、天皇の判断を仰ぐべきところなのに、私の争いをしようとして、武士が町中に充満しているそうだが、このことは天皇のお耳にも達しており、はなはだけしからん。早く狼藉を鎮めるように」 と命令を下されたところ、両人とも事実無根と弁解した。 「どんな天魔の仕業か、人の肝をつぶすことよ」 と人々は噂しあった。

また、ゆふべ に及びて、出納しゆつなふ 友員ともかず に仰せて、新院の烏丸からすまる の御所に焼け残りたる御所のありけるを、実検しけるに、御文庫ぶんこ 一両あり。開きてこれを見るに、御手箱一合いちがふ あり。こと に御秘蔵ひさうおぼ へて、御ふう 付けられたり。すなは ち、内裏へ持参す。叡覧えいらん るに、新院しんいん 日頃ひごろ 御覧ずる処の御夢想むさう の記を入れられたり。御夢想の記とは、重祚ちようそ の告げなり。重祚の告げあるに依って、さまざまの御ぐわん どもを立て置かせたまひけり。
また、夕方になって、信西は出納友員に命じて、新院の烏丸の御所に焼け残った屋敷があったので調べさせたところ、御文庫が一両あった。開けてみると、中には御箱一合があった。ことのはかご秘蔵のものと思われ、封されていた。直ちに、内裏へ持参した。天皇がご覧になると、新院が日ごろご覧になっている御夢想に記が入っていた。御夢想記とは重祚の告げである。重祚の告げがあるについて、さまざまの御願を立てていた。
重祚とは、斉明さいめい称徳しようとく 二代の例ありといへども、朱雀院すざくゐん は、母后ぼこう の勧めに依つて天暦てんりやく御門みかど に位を譲り奉りたまひしが、御後悔あつて、伊勢いせ へ公卿の勅使をたてられたりしかども、つひにかな はせおはしまさず。白河院しらかはいん は、堀河天皇ほりかはてんわう に譲り奉らせたまひしが、かへ きの御こころ にや、御出家の後も御法名ほふみやう も付かせたまはざりしかども、それも げさせおはしまさず。天武天皇てんわう は、大友おほとも皇子わうじおそ はれて、御位をのが れ、御出家ありて、芳野山よしのやま へ入らせたまひしが、御後悔ありて、世を打ち取らせたまひ、かへ りて位に かせたまふ。
重祚について、斉明・称徳二代の例ありといへども、朱雀院は、母后の勧めで天暦の帝に皇位を譲ったものの、後悔して、伊勢へ公卿の勅使を遣わしたが、遂にかなわなかった。白河院は堀河天皇に位を譲ったが、重祚のおつもりであってか、ご出家の後も法名を付けなかったが、それも重祚はできなかった。天武天皇は、大友の皇子に襲われて退位され、ご出家の後、芳野山に入ったが、後悔して、戦いに勝って、都に戻り、皇位についた。
この例などをやおぼ ださせたまひけん。代々遂げさせおはしまさざりし事を思し召し立ちけんも、只事ただごと にはあらざりけるにこそ。されども、御夢想むさう げありけるは、 「余りに夜も昼も御こころ にかけさせたまひける故にや」 なんどぞ申し合へる。
この例を思い出されたのであろうか、代々かなわなかったことを思い立たれてのは、ただごとではない。しかし、御夢想の告げがあったのは、 「夜も昼も熱心にお心にかけた為であろうか」 など、人々は噂しあった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ