暁
深き空なれば、所々の鶏とり の声、寺々の鐘の音こえ
、御身に入し みてぞ聞きこ
し召め す。有明ありあけ
がたの月影に、嵐の山、小倉おぐら
の嶺みね 、都の空は曇らねど、御衣ぎよい
の袂たもと の上にこそ、晴れぬ時雨しぐれ
はそそときける。しばらくと思ふ道だにも、慣な
らはぬ旅は悲しきに、況いはん
や、これを限り、ただ今を際きは
の御名残なごり 、行く末眩く
れたれる御意こころ 、為方せんかた
なくぞ 思おぼ し召め
す。来こ し方かた
行ゆ く末すえ
掻か き眩く
れさせたまふ御涙に、いとどしき明あ
け暮ぐれ の天そら
なれば、いづくを慣な らはせたまふとも思し召し分けざるに、
「鳥羽とば の北の楼門ろうもん
の程を過ぎさせたまふ」 と申しければ、重成しげなり
を近く召されて、 「『故院こいん
の御墓に参りて、最後のいとま申して過ぎん』 と思し召さるるは、適かな
はじや」 と仰おほ せられければ、重成も、哀れに忝かたじけな
くは思おぼ えけれども、 「宣下せんげ
に時剋じこく 遷うつ
り候ひなんず、後勘こうかん おそろしく候ふ」
とて、宥ゆる し進まゐ
らせず。 「さては、力及ばざる事なり」 とて、鳥羽院の御墓、安楽寿院あんらくじゆいん
の方かた へ、御車を引き向はさせて、何なに
とか申させたまひけん、御涙に咽むせ
ばせたまひけるとぞ、御車の外へ聞えし。御車近く候ふ兵つはもの
ども、この御粧よそほ ひを承りて、皆、鎧よろい
の袖そで をぞ濡ぬ
らしける。重成も、この御有様ありさま
を見進まゐ らせて、讃岐さぬき
までの御伴と定められたりけれども、兎角とかく
辞し申して、兵衛尉ひやうゑのじよう
能宗よしむね に申し替へて、重成、都へ帰りけり。
新院、重成を召して、 「汝なんじ
、この日頃ひごろ 、情けありて当りつる事こそ、いかならむ世までも、思おぼ
し召め し忘るるまじけれ。讃岐までの御伴とも
と聞きつれば、心安く思おぼ えつるに、罷まか
り留まらんこそ心細くspan>思おぼ しspan>召め
せ。さて、光弘みつひろ 法師ほふし
疾と う参れと言へ」 など仰せらる。この光弘法師と申すは、去さ
んぬる十七日の夜斬られたりけるをも知し
ろし 召め されずして、御言付ことづ
けのありけるこそ哀れなれ。御送りの兵士ひやうじ
上下三百人と聞えしを、国司李行すえゆき
、いたみ申して、兵つはもの 十余輩はい
を相あひ 具ぐ
して、請け取り奉る。 |