〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/12 (火) 新 院 讃 州 に 御 遷 幸 の 事 (二)

あかつき 深き空なれば、所々のとり の声、寺々の鐘のこえ 、御身に みてぞきこ す。有明ありあけ がたの月影に、嵐の山、小倉おぐらみね 、都の空は曇らねど、御衣ぎよいたもと の上にこそ、晴れぬ時雨しぐれ はそそときける。しばらくと思ふ道だにも、 らはぬ旅は悲しきに、いはん や、これを限り、ただ今をきは の御名残なごり 、行く末 れたれる御こころ為方せんかた なくぞ おぼ す。かた すえ れさせたまふ御涙に、いとどしきぐれそら なれば、いづくを らはせたまふとも思し召し分けざるに、 「鳥羽とば の北の楼門ろうもん の程を過ぎさせたまふ」 と申しければ、重成しげなり を近く召されて、 「『故院こいん の御墓に参りて、最後のいとま申して過ぎん』 と思し召さるるは、かな はじや」 とおほ せられければ、重成も、哀れにかたじけな くはおぼ えけれども、 「宣下せんげ時剋じこく うつ り候ひなんず、後勘こうかん おそろしく候ふ」 とて、ゆるまゐ らせず。 「さては、力及ばざる事なり」 とて、鳥羽院の御墓、安楽寿院あんらくじゆいんかた へ、御車を引き向はさせて、なに とか申させたまひけん、御涙にむせ ばせたまひけるとぞ、御車の外へ聞えし。御車近く候ふつはもの ども、この御よそほ ひを承りて、皆、よろいそで をぞ らしける。重成も、この御有様ありさま を見まゐ らせて、讃岐さぬき までの御伴と定められたりけれども、兎角とかく 辞し申して、兵衛尉ひやうゑのじよう 能宗よしむね に申し替へて、重成、都へ帰りけり。
新院、重成を召して、 「なんじ 、この日頃ひごろ 、情けありて当りつる事こそ、いかならむ世までも、おぼ し忘るるまじけれ。讃岐までの御とも と聞きつれば、心安くおぼ えつるに、まか り留まらんこそ心細くspan>おぼ しspan> せ。さて、光弘みつひろ 法師ほふし う参れと言へ」 など仰せらる。この光弘法師と申すは、 んぬる十七日の夜斬られたりけるをも ろし されずして、御言付ことづ けのありけるこそ哀れなれ。御送りの兵士ひやうじ 上下三百人と聞えしを、国司李行すえゆき 、いたみ申して、つはもの 十余はいあひ して、請け取り奉る。

すっかり暁方の空になり、所々の鶏の声、寺々の鐘の声、すべて身にしみてお聞きになる。在明の月光が嵐山、小倉の嶺を照らして、都の空に曇りはないのに、新院の袂は悲しみの涙で濡れる。再び戻ることが出来る旅でも、慣れぬ旅とあらば悲しいものなのに、まして再び戻ることのない、これが最後の名残となると、これからのあれこれが不安でならなかった。これまでのこと、これからのことのあれこれに思い悩んで流す涙でますますあたりの様子がさえぎられ、どこを通っているのかもわからなかったが、 「鳥羽の北の楼門の辺を通過しいぇいます」 と教えてくれたので、重成をそば近く呼んで、 「故鳥羽院の御墓に詣でて、最後のお別れをしたいが、かなうまいか」 とおっしゃる。重成も大変すばらしいお考えとは思ったが、 「決められた時刻に遅れています。後々のお叱りが恐ろしいことです」 と許そうとしない。 「さては、かなわないか」 とがっかりして、鳥羽院の御墓、安楽寿院のほうへ御車を向けさせて、何か語りかけていらしたが、御車の外へは、ただ涙に咽ぶ声しか聞こえてこなかった。御車近くに付き添っていた兵どもも、この様子を見て、皆涙を流した。重成もこの様子をうかがってあまりに悲しく、讃岐までのお供との命令を受けていたが、あれこれ辞退申し、兵衛尉能宗に代わってもらい、都に帰ることになった。
新院は重成を呼んで、 「汝、この数日来、自分に親身に世話をしてくれたこと、いつまでもわすまい。讃岐までの供と聞いていたので、安心していたのに、都に留まることになろうとは、心細いことだ。ところで、光弘法師に早く参れと言うように」 などとおっしゃる。この光弘法師は、去る十七日の夜に斬られたのもご存じなく、お命じになられたとはあわれなことである。御送りの兵は位高き低き合わせて三百人とのkとだったが、国司李行はこれを迷惑がって、兵十余人だけを引き連れて、新院を引き取った。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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