〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/11 (月) 新 院 讃 州 に 御 遷 幸 の 事 (一)

同じ廿二日、内裏だいり より、蔵人右少弁くらんどのうせうべん資長すけなが 朝臣あそん を御使つかひ として、仁和にんわ 寺へ参らせられて、 「明日みやうにち讃岐国さぬきのくに へ移らせおはしますべき」 よし 、申させたまふ。新院、日頃ひごろ より、 「いかなるべき身の有様ありさま やらん」 とおぼ されけれども、 「出家してんうえは、さしも罪深かるべしともおぼ えず、都近き山里などにて押し められむずらん」 と思し召しけるに、遥々はるばる八重やへ塩路しほぢ き分け、雲南万里うんなんばんり船路ふなぢなみ に御そで をひたさせたまはん事こそ、御心細くは思し召されける。
あく る廿三日、夜深く、仁和寺殿を せさせたまふ。美濃みのの 前司ぜんじ 保成やすなり が車に召す。佐渡式部大夫さどのしきぶたいふ重成しげなり下部しもべ 、御車をつかまつ る。御とも には、女房三人参られけるが、御車に召されて後、声を調ととの へて、をめ き叫びたまひけり。見る者袖をぞ絞りける。新院しんいん も、今はのきは になりたまへば、ただあきれたる御気色きしよく なり。
女房にようぼう たちの泣き悲しむありさまを御覧ずるに、いとそ消え入る心ちぞしたまふ。 「きみ 御幸ごかう の時は、ひさし 半蔀はじとみ の御車に、月卿雲客げつけいうんかく 列を引き、前駆せんくみく 随身ずいしん 、御車副くるまぞ ひにさぶら ひ、警蹕けいひつ して、儀式たやすからずありしに、あやしくうとげなる武士もののふ どもの近付き参りて、御車をつかまつ るが、ただ夢のやうにおぼ ゆるぞや」 とて、泣き悲しみたまふ。まことことわり とぞおぼえし。

同二十二日、内裏から蔵人右少弁資長朝臣が仁和寺へ御使いとして派遣され、 「明日、讃岐国にお移りいただきたい」 との申し入れがあった。新院は日頃から、 「我が身はどうなるのだろうか」 と心配しながらも、 「出家したからには、さして重罪というわけでもなかろう。都近くの山里などに押し籠められるぐらいだろうか」 などと軽く考えていただけに、はるばると海路をたどり、苦難多き旅を重ねられることを思いやり心細くなった。
明くる二十三日、夜更けて、新院は仁和寺を出発なさった。美濃前司保成の車にお乗りになる。佐渡式部大夫重成の下部が御車に仕えた。お供として女房三人が従ったが、新院が御車にお乗りになるや、いっせいに泣き叫んだことである。この様を見た者は皆泣いた。新院も、いよいよ出発の時間になると、ただもう途方にくれた。女房たちの泣き悲しむ様子をご覧になるにつけ、いっそう心細く感じられた。 「自分が外出の際は、廂・半蔀の御車に、多くの官僚たちも列をつくり、前駆は御随身が車に付き添い、警蹕して、ぎょうぎょうしい儀式であったが、この度は、いやしくうとましげな武士がうろうろして車に仕えているのが、まるで夢のように思われてならない」 と泣き悲しみなさる。実にそう思いなさるのも無理はない。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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