同二十二日、内裏から蔵人右少弁資長朝臣が仁和寺へ御使いとして派遣され、
「明日、讃岐国にお移りいただきたい」 との申し入れがあった。新院は日頃から、 「我が身はどうなるのだろうか」 と心配しながらも、 「出家したからには、さして重罪というわけでもなかろう。都近くの山里などに押し籠められるぐらいだろうか」
などと軽く考えていただけに、はるばると海路をたどり、苦難多き旅を重ねられることを思いやり心細くなった。 明くる二十三日、夜更けて、新院は仁和寺を出発なさった。美濃前司保成の車にお乗りになる。佐渡式部大夫重成の下部が御車に仕えた。お供として女房三人が従ったが、新院が御車にお乗りになるや、いっせいに泣き叫んだことである。この様を見た者は皆泣いた。新院も、いよいよ出発の時間になると、ただもう途方にくれた。女房たちの泣き悲しむ様子をご覧になるにつけ、いっそう心細く感じられた。
「自分が外出の際は、廂・半蔀の御車に、多くの官僚たちも列をつくり、前駆は御随身が車に付き添い、警蹕して、ぎょうぎょうしい儀式であったが、この度は、いやしくうとましげな武士がうろうろして車に仕えているのが、まるで夢のように思われてならない」
と泣き悲しみなさる。実にそう思いなさるのも無理はない。 |