〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/09 (土) 為義の北の方身を投げたまふ事 (三)

また、泣く泣く宣ひけるは、 「船岡山へ行きてん。むな しきかばね をば見ばやと思へども、今は、定めて、犬もからす も引き散らしぬらん。かしここより、かはゆげなる死骸しがい どもを求め だして、これは乙若おとわか の手よ、かれは天王てんわう が足よなど見んも、目も当てられじなれば、泣く泣く行かじと思うふなり。馬嵬ばくわい野辺のべ鳥辺とりべ 野山のやま東黛とうたい 前後ぜんご夕煙ゆふけぶり北亡新旧ほくばうしんきゆあした の露、はかなきためし、余所よそ の哀れと聞き置きしは、船岡山の事なりけり。嵯峨さが太秦うづまさ に参りて、さま を変へんと思へども、為義ためよしつま の見めの くて しくてなど、法師原ほふしばら沙汰さた せん事もこころ し」 とて、輿舁こしかき が刀を ひて、自ら髪を切り落とし、あまたに け、仏神三宝ぶつじんさんぽう手向てむ け奉り、石をつつみ具して、川の中へぞ入れてける。 「人一日一夜を るにだに、八億四千の思ひありと、仏の説かせたまふを、何事にかはさまではと、思ひけるこそ経愚おろ かなれ。我が身のなげ きを数へんには、川原の石は くるとも、なほ いか ばかりかつも らまし。判官殿は六十三、七、八十まである人もあるぞかしと、思へば惜しきよはひ なり。

また、泣く泣く、 「船岡山へ行ったものだろうか。死骸なりとも確かめようとは思ったが、きっと今ごろは犬や烏が散らかしているだろう。あちこち散乱している無残な死顔を探し出して、これは乙若の手、あれは天王の足などと見るのも目もあてられないことだから、泣く泣く行くのを断念した。馬嵬の野辺、鳥辺の野山、東黛前後の夕煙、北亡新旧の朝露はいずれもはかないことのたとえと、他人事として聞いていたが、我が身にとってはまさに、船岡山がこれに当るのだ。嵯峨や太秦に詣でて、出家したく思うが、為義の妻だそうだが見目が良いの悪いのと法師たちの話題になるのも辛い」 と言うや、輿舁の刀を借りて自ら髪を切り落とし、たくさん組み分けて、仏神に手向け、石を包み込んで川の中へ投げ入れた。そして、 「人が一日一夜過ごすにしても、八億四千とたくさんの物思いがあるものと仏がお説きになっていらしたのを、そんなにまで悩むものかと疑ったのは愚かなことであった。我が身の嘆きを数えてみるに、川原の石を全部数え上げてもまだ足りない。判官殿は六十三歳、しかし、七、八十まで生き長らえる人もいることを思えば、まだまだ惜しい年齢だ。

いはん や、子供の行く末は、まだはる かなる程ぞかし。 につれなくながらへば、子供の年を数へても、今年はそれはいくつそれはいくつ、子供に似たる人を見ても、あらましかばと恋しくは、 りけん者の恨めしさよ。斬らるる子供のいたはしさよ。思ひ続けて一時ひととき も、世にあるべしともおぼ えず。心に任せぬ世間の らひなれば、一日いちじつ 片時ねんし もつれなく命ながらへて、つもらん罪こそ恐ろしけれ。されば、ただ、水の底へも入りなばやと思ふぞとよ。この身の命を惜しまず、ただ無上道むじやうだう を願ふべしとこそ、仏も説かせたまひたれ」 など、打ち口説くど き、泣く泣くのたま ひて、とみにも輿に乗りたまはず。
まして子供たちの将来はまだまだ遥か先まであることだ。この世でつらい思いをして長生きしても、亡き子の年を数えては今年はあの子はいくつ、いくつ、我が子に似た子を見かけるにつけ、あの子が生きていればと思うにつけ、子を斬った者が恨めしくなる。それにしても、斬られた子が不憫でならない。こんなつらい思いをしてまで、一時たりとも、生きていようなどとは思わない。思い通りにならないのが世の常、一日片時でも平気で生きたところで、罪積もるばかりだと思うと恐ろしい。だから、入水して果てようと決心した。今世に執着せず、ただ無上道に生きることを願うがいいと仏も説いているではないか」 などと口説き、泣く泣くおっしゃるばかりで、すぐには輿に乗ろうとなさらない。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ

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