〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/10 (日) 為義の北の方身を投げたまふ事 (四)

乳母めのと の女房より始めて、口々に申しけるは、 「一方ひとかた ならぬ御なげ き、さこそはおぼ すらめども、いにしへ より今に至るまで、男にいく れ、子に別るる らひ、まこと に多しといへども、たちま ちに命を つる事、そう じて、ためし なき事こそ。昔は胡塞こさい 万里ばんり雲路うんろ に鏡の影をかこちわび、燕子楼えんしろう霜月さうげつ に夜な夜な心をいた ましむ。人間有為うゐ らひ、愛別あいべつ 離苦りく前後ぜんご 相違さうゐことわり は、御身おんみ に限らぬ事どもなり。今度の合戦にも、へい 右馬助うまのすけ 殿どの の女房は、父子五人におく れたまひ、左衛門さゑもんの 大夫たいふ 殿どの北方きたのかた は、親子四人に別れたまふ。されども、身を投げ、命を捨てたまふ事はなし。皆、様を変へ、姿をやつしたまふなり。同じ道にこそとおぼ すとも、冥途めいど へ赴きぬ者、二度ふたたび 行き合ふ事候はぬなり。六道ろくだう 四生ししやう まちまちに別れて、いづ れの道にか赴かせたまひぬらん。それよりもただ う御宿所へ帰らせたまひて、面々めんめん の御孝養けうやう をもいとな ませたまはめ。水の底へおぼ し入りなば、御身の罪障ざいしやう の深くおはしまさんのみにもあらず、入道にひだう 殿・幼き人々の御菩提ぼだい をば、たれ かはとぶら ひ奉るべきや」 など、様々になぐさ め申して、各々おのおの 、川のはた に立ち並び、目も放ち奉らず。
女房、うちうなづいて、 「まこと に身を捨てたりとも、後の世にて行き合ふ事のなからんには、何かはせん。さらば、京へ帰りてこそあらめ」 とて、輿に乗らんと らせたまへば、皆心やすくて退 き、川を渡らんとするまぎ れに、はしちが ひて、岸より川へ飛び入りたまふ。乳母めのと の女房、 「あな、こころ や」 とて、続きて川へぞ入りにける。

乳母の女房はじめその場にいる者が、皆口をそろえて、 「大変なお嘆きよう、確かにお嘆きになるのはもっともなことと同情申し上げます。昔から今に至るまで、夫や子供に先立たれた例はまことに数多いが、突然、命を捨てることは確かに稀なことでしょう。昔は、胡塞万里の雲路に鏡の影をかこちわび、燕子楼の霜月に夜な夜な心をいたましむとの詩があります。人間として生まれたからには、愛別離苦、老少不定の理というもの、なにもあなたの限っての不幸ではない。今度の合戦でも、平右馬助殿の女房は、父子五人に先立たれ、左衛門大夫殿の北の方は親子四人に死に別れた。しかし、入水して、命を捨てなさるまでのことはしなかった。皆出家して、姿を変えなさったことである。同じ所へとお思いになっても、冥途に向かった者は二度と行き合うことはない。六道四生、皆別々に別れてしまい、どこに向かうのか定まってはいない。それよりも、早く家にお帰りになって、お子さん方の供養を営みなさい。入水などなさろうものなら、御身の罪障が深くなるだけでなく、入道殿や幼いお子さん方の御菩提をだれが弔うというのですか」 など、あれこれなぐさめて、おそばの者たちは川岸に立ち並んで、北の方をずっと見守っていた。
北の方はうなずいて、 「確かに自分が死んだところで、後世で行き合うことが出来ないのなら、どうしようもない。それでは京に帰ろう」 と言いながら、輿に乗ろうと立ち寄ったので、皆安心して退き、川を渡そうとするまぎわに、走り違って、岸から川へ飛び込んだ。乳母の女房も、 「ああ、おいたわしいこと」 と叫んで、後を追って川に入った。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ

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