母が、
「それにしても、子供たちをどこで殺したのか」 と問いただしたので、 「船岡山です」 と答えると、 「それではそこへ連れて行くように。死んでしまった亡骸だけでも、今一度見たい」
とおっしゃるので、桂川の川原に輿をおろし、川を渡る準備をしていた紛れに、北の方は輿の中から這い出して、こっそり石を拾って懐に入れ、泣く泣く、 「今朝、八幡へ詣でようとした時、子供たちが連れて行けとまとわりついたが、皆連れて行くとなると伴の者がいないし、一人二人を連れて行ったのでは、残された者が悔しく思うだろうと振り切って出て来たが、子供たちはどんなに恨めしく思ったろう。こんなことになるのだったら、いっそのこと皆連れて出かければよかった。せめて一人でも連れて出ていたのなら、たとい逃げ切ることは出来ないまでも、一緒に死ぬことが出来たのに。まさか、今朝が最後の別れとは思いも寄らなかった。
『幼い者の寝姿を見たからには外出してはならない』 との諺があるが、本当のことだったなあ。まこと、八幡大菩薩は源氏に家に生まれた者につき、末々まで守護なさると約束なさっていると聞く。この子らは由緒正しい嫡流の者よ。たとい、幼いとはいえ、お助け下さらないのは恨めしい。こんなことになるのだったら、八幡へは詣でなければよかった。精進を始めたのも、判官殿や子供の無事を祈願してのことだ。今朝方、八幡へ詣でなければ、子供たちとの最後の名残を今一度惜しむことができたのに、悔しい物詣よ」
などとおっしゃるのはいたわしい。 |