〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/09 (土) 為義の北の方身を投げたまふ事 (二)

母、のたま けるは、 「そも、この者どもをばいづくにて失ひつるぞ」 「船岡山ふなおかやま ざふら ふ」 と申せば、 「さらば、それへ して行け。むな しきむくろ なりとも、今一度見ん」 と宣へば、桂川かつらがははた に輿 ゑ、川を渡らんとしけるよそほひまぎ れに、輿の内より でて、人にも知られず、石をふところ に拾ひ入れて、泣く泣く宣ひけるは、 「今朝、八幡やはた へ参りつるに、この者どもしたひつれども、 『皆具せば、とも の者もなし。一人いちにん 二人ににん はかたうらやみなり」 と思ひて、振り捨てて参りつるをば、いかに恨めしと思ひつらん。かかるべしだと知りたらば、皆具してぞ参らまし。せめては一人いちにん なりともあい したらば、たとのが れは てずとも、手を取り組みてもいかにもなりまし。今朝を限りにてありけるよ。 『をさな き者どもの ねたる形を見て物へ でず』 と ひ慣らはせることわざ は、まこと なりけるぞや。げにや、八幡大菩薩はちまんだいぼさつは、源氏の家に まるるをば、末々すゑずゑ までも守らんと誓はせたまふとこそ聞け。これはまさ しき家嫡けちやく なり。たとをさな き者なりとも、捨てさせたまふ恨めしさよ。かくあるべしと知るならば、なじかは八幡やはた へ参りけん。この程、精進始めしも、判官はんぐわん 殿の御祈り、子供が祈りのためぞかし。今朝しも八幡へ参らずは、子供の最後の名残なごり をば、いま一度ひとたび しみてまし。くやしかりける物詣ものまう でよ」 と宣ひけるこそせめてなれ。

母が、 「それにしても、子供たちをどこで殺したのか」 と問いただしたので、 「船岡山です」 と答えると、 「それではそこへ連れて行くように。死んでしまった亡骸だけでも、今一度見たい」 とおっしゃるので、桂川の川原に輿をおろし、川を渡る準備をしていた紛れに、北の方は輿の中から這い出して、こっそり石を拾って懐に入れ、泣く泣く、 「今朝、八幡へ詣でようとした時、子供たちが連れて行けとまとわりついたが、皆連れて行くとなると伴の者がいないし、一人二人を連れて行ったのでは、残された者が悔しく思うだろうと振り切って出て来たが、子供たちはどんなに恨めしく思ったろう。こんなことになるのだったら、いっそのこと皆連れて出かければよかった。せめて一人でも連れて出ていたのなら、たとい逃げ切ることは出来ないまでも、一緒に死ぬことが出来たのに。まさか、今朝が最後の別れとは思いも寄らなかった。 『幼い者の寝姿を見たからには外出してはならない』 との諺があるが、本当のことだったなあ。まこと、八幡大菩薩は源氏に家に生まれた者につき、末々まで守護なさると約束なさっていると聞く。この子らは由緒正しい嫡流の者よ。たとい、幼いとはいえ、お助け下さらないのは恨めしい。こんなことになるのだったら、八幡へは詣でなければよかった。精進を始めたのも、判官殿や子供の無事を祈願してのことだ。今朝方、八幡へ詣でなければ、子供たちとの最後の名残を今一度惜しむことができたのに、悔しい物詣よ」 などとおっしゃるのはいたわしい。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ

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