〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/09 (土) 為義の北の方身を投げたまふ事 (一)

義通よしみち六条ろうでう 堀川ほりかは へ告げ申さんとて、帰りたりければ、 「いま八幡やはた より下向げかう したまはず」 と申しけるあひだ、やがて八幡のかた へ参り向ひけるほどに、赤井あかい 川原がはら にて行き合ひたり。母、義通が近付きける気色けしき を見て、 「いかなる事をか聞かんずらん」 と、胸打ち騒ぎて、輿こしすだれ をあげて、 「いかに、いかに」 とのたま ひければ、義通、馬よりくづ れ落ちて、 ず涙をはらはらと流して、 「宣旨せんじ にて候ひしほど に、力無く、入道殿も られたまひ候ひぬ。公達きんだち たちも、皆々みなみな うしなまゐ らせて候う。これぞ御形見かたみ にて候ふ」 とて、四裹よつつみ の髪を取り だす。母、輿の内よりこぼれ落ち、形見かたみ の髪を胸に て、もだえこがれ、悲しみて、 「やよ、義通、願はくは、我をもともに害すべし。同じ道にぞ行かまし」 とて、声を ててをめさけ びたまひければ、いや しき舎人とねり輿舁こしかき にいたるまで、そでしぼ らぬはなかりけり。乳母めのと女房にようぼう 、泣く泣く申しけるは、 「路頭ろとう は人目も見苦しく候ふ。 う御帰り候へ」 とて、輿に き乗せ奉る。

義通は、事の顛末を報告すべく、六条堀川へ帰ったが、 「北の方はまだ八幡からお帰りになっていない」 と言われ、すぐ、八幡の方へ向い、赤井川原で行き合った。母は義通が近付く様子を見て、 「何の報告だろうか」 と胸騒ぎして、輿の簾をあげて、 「どうしたのか」 と声をかけたところ、義通は気の急くままに馬から崩れ落ち、まず涙を流し、 「宣旨とのことで、どうしようもなく、入道殿も斬られなさり、ご子息たちも皆殺してしまいました。これが御形見です」 と言いながら、四つに包んだ遺髪を取り出した。母も輿の中からころがり落ち、形見の遺髪を胸に当て、身もだえして悲しみ、 「義通よ、願わくば、自分も同じように殺しておくれ。同じ道をたどりたい」 とばかり、声を出して泣き悲しんだので、身分の低い舎人や輿舁に至るまで、皆、涙にくれた。乳母の女房は、泣く泣く、 「路上は人目もあって見苦しい。ここは、早くお帰りになって」 とすすめて、輿にお乗せした。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ

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