また、乙若殿、波多野に云ひけるは、 「さても、我は後
に切られんと云ひつれば、暫しばら
くなれども命を惜しむとや思ひけがしつらん。ゆめゆめその儀はなきものを。この程、母御前の、八幡やはた
へ参らんとて、御精進しやうじん
の程、我も参らん、人も参らんと申ししかば、様々やうやう
にすかしおかせたまひて、今朝けさ
、我等が寝い ねりたりつる間に、参らせたまひつるが、いまは定めて下向げかう
したまひぬらん。かくあるべしとだに知りたらば、云ひ置きたき事どももありけるを、父の呼ばせたまふと聞きつる嬉うれ
しさに、急ぎ参りつるばかりなり。我等かやうになりぬと聞きたまひては、さこそ歎なげ
かせたまはんずらめ。 『乙若は何とか云ひつる。亀若は云ひ置く事はなかりけるか』 など、何いか
ばかりの事、思ひたまはんずらめ。されば、汝、やがてこれより六条堀川へ参りて、我等が有様ありさま
、最後の体てい 、ありのままに語り申すべし。また、これを形見かたみ
に奉れ」 とて、弟どもの額ひたひ
の髪を切りて、我がともに、四つに裹つつ
みて、指の先を食い切って、流るる血をもって、面々に名を書き付け、波多野次郎に賜たま
ひてけり。 |
また、乙若殿は、波多野に向かって、
「自分は後に斬られようなどと言ったのを聞いて、わずかばかりのことだが命を惜しんでのことだと思って軽蔑しただろう。そんなつもりではないのだ。この程、母御前が八幡へ詣でようと精進していたが、弟どもが連れて行ってほしいとそれぞれにせがむのをどうにかなだめて、今朝自分たちが寝ている間に母は出かけた。参詣終わって、もう帰途についていることだろう。こんなんことになるのだったら、母に話しておきたいことがあったのに、父が呼んでいると聞いて、うれしくなり、急いで出かけてしまった。自分たちがこのようになった事を聞いて、母はお嘆きになることだろう。
『乙若は何か言っていたか。亀若は何か言い残さなかったか』 など、どんなに思い悩まれることだろう。だから、汝はここからすぐ六条堀川に出かけて、自分たちのこと、最後の様子をありもままに伝えてほしい。また、これを形見に差し上げてくれ」
と頼んで、弟どもの額の毛を切り取り、自分の毛も添えて四つに包み、指の先を食い切って、流れる血で、それぞれの名前を書き付けて、波多野次郎に渡した。 |
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「さても、義通よしみち
よ。下野殿しもつけどの にもうさんずるやうはよな、この事どもは、清盛が讒奏ざんそう
によつて、たばかられさせたまふにこそ。昔も今も例ためし
なき、現在の父の頸を切り、兄弟を失うしな
ひたまふ。身一つになりて、只今平氏に統す
べられ、終つひ には、我が身も亡ほろ
び失う せて、源氏の胤たね
の絶えん事こそ口惜しけれ。その時は、 『乙若は幼けれどもよく云ひけり』 と、思ひ合はせたまはんずるぞ。遠くは七年、近くは三年の内をばよも過すぐ
したまはじと、慥たし かに申すべし」
とて、 「今は思ほ置く事をも云ひ置きぬ。今生こんじやう
に思ひ置く事とては、母御前の御行く末なり。されども、後おく
れ先立さきだ つ慣なら
らひ、弓矢取る者の子供なれば、力及ばぬ事どもなり。さらば、はや、疾と
う疾と う仕つかまつ
れ。少おさな き者どものさこそ遅おそ
しと待つらめ」 とて、首もなき躯むくろ
うつ伏ぶ したる中を、なつかしげに、掻か
き分け掻か き分け、その中につゐ居い
て、西に向ひ、念仏高声かうしやう
に数す 十遍唱とな
へて、首を延の べてぞ討う
たせける。実まこと によくぞ見えし。
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「さて、義通よ、下野殿に伝えることは次のこと、清盛の讒言にだまされなさったことにお気付きか。昔も今も前例のない、実の父の首を斬り、兄弟を殺してしまった。自分一人だけになって、今に平家に支配され、ついには殺されてしまって、源氏の家系か絶えてしまうのだ残念だ。その時になって、
『乙若は幼いが、よく言い当てた』 と合点するだろう。遅くて七年、もしかすると三年にならぬうちのことよ、きっと伝えてくれ」 と頼んだ後、 「思っていることは全部言った。気がかりなのは、母の行く末だけだ。しかし、人の命は不定、後れ先立つのが習い、まして武士の子供とあれば、いたしかたのないことよ。早く、首を斬ってくれ。幼い者たちが遅いなあと待っていることだろう」
と言って、首もない死骸がころがっている中を、なつかしそうにかき分けて、その中に座り、西に向かって念仏を高声に数十遍唱え、首を差し出して、討たれた。実にいさぎよい振る舞いだった。
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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