鶴若殿、波多野を見あげて、 「哀
れ、これは義通が聞き違たが ひしたるよな。下野殿の許もと
へ人を遣つか はして聞かばや。軍いくさ
したまひたる兄の殿ばらをこそ、君も 『斬れ』 とは仰せられ候はめ。幼き我等われら
をば、何の故にか失うしな はせたまふべき」
と言へり。 亀若殿、波多野に取り付て、 「哀れ、下野殿は悪あ
しくも計らひたまふものかな。人の世にあるといふは、一門兄弟の広きをこそいふなれ。我等三人、四人扶たす
けおかせたまひたらば、よき方人かたうど
にてこそあらむずれ。よからん郎等らうどう
一、二百人には争いかで か替か
へたまふべき。只今後悔したまはんずるものを。よくよく計らひたまはで」 と云ひければ、乙若殿、輿の内より出でて、波多野に取り付きたる弟どもを引き放ちて、 「あさましき者どもの有様ありさま
や。人もこそ聞け。心を静めて、しばらく我が云ふ事聞きたまへ。下野殿、兄なればとて、たのもしかるべき人かは。父人入道殿の、六十余り、病やまひ
に沈み、今日けふ 明日あす
とも知りたまはぬが、出家入道して、 『我を助けよ』 とて、打ち憑たの
みて来たまひたるをだにも、斬り奉る不当人ふたうにん
が、行く末はるかなる我等を助け置かんとは、争いかで
か思ふべき。縦たと ひ助け置きたりとても、心あるべき我が身かは。な泣きそ、和子わこ
たち。泣くとも、誰たれ か助くべき。必ず死ぬる慣な
らひあんなれば、ただその時と思ふべし。大人おとな
になりて死なんも、只今斬られんも、命を惜を
しむならひ、ただ同じ事にてぞあらむずらむ。生きても、今日は、また、何の詮せん
かはあるべき。世にあらせたまふべき父は討たれたまひぬ。頼たの
むべき兄このかみ たちは皆斬られぬ。助くべき下野殿は敵かたき
なり。所領の一所いつしよ を持たずして、乞食こつじき
頭陀づだ の行ぎやう
をして、 『あれこそ為義ためよし
が子供のなれる終はて よ』 と、人に指を差されて何かはせん。それよりも、父恋しく思ひ奉らば、音ね
を泣き止や み、西に向ひ手を合はせ、
『父入道殿、我等四人一所いつしよ
へ迎へ取りたまへ。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
』 と申さば、父のましますところへ、やがて参らんずるぞ」 と云ひければ、三人の弟ども、兄の教へに従ひて、音を泣き止み、西に向ひ、手を差し合はせて、臥し拝めば、五十余人の兵つはもの
ども、皆涙をぞ流しける。その中に、波多野次郎、赤縅あかをどし
の鎧よろひ の袖そで
、流るる涙にすすがれて、洗あら
ひ革がは とやなりぬらん。 |