〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/07 (木) 義朝幼少の弟悉く失はるる事 (二)

母は、今朝、八幡やはた へ参りたまへりとて、少き者どもは、いま ねたりけるが、義通、 「入道殿の御使ひに参りたり」 と申しければ、 「我も、我も」 と走り ず。義通申しけるは、 「入道殿は船岡山にこも らせたまひて候ふが、 『また都に合戦候ふべし』 とて、『いくさなら らひ、きつと見んと思ふとも、見ぬ事もあるべければ、公達きんだち たち向へまゐ らせよ』 と仰せ候ふあひだ、御迎へに参りて候ふ」 と申しければ、十一になる亀若かめわか 、九になる鶴若つるわか 、七なる天王てんわう とて、三人は、聞きあへず、喜びて、輿こし に走り乗る。十三になる乙若丸おとわかまる は、 「ちち 御前ごぜん は、下野殿のもと に渡らせたまふとこそ承れ。何として船岡山にはこも らせたまふべき」 とて、よにあや しげに思ひたり。波多野、 「いかで かさる僻事ひがごと をば申し候ふべき」 とて、 う入らせたまへ」 と申せば、 「母御前も、今は八幡より御下向げこう あるらむ。待ちまゐう らせてこそ」 と云ひければ、三人の弟ども、 「兄御前や、 う承れ。父御前の御もと へ急ぎ参らんずるに」 とすす められて、乙若殿は、心ならず乗りてけり。道すがらも、少き者どもは、輿こし きどもに、 「遅しや、遅しや」 と勧めけるこそ哀れなれ。屠所としよ の羊の歩みとも、知らざりけるこそはかなけれ。

母は、今朝、八幡へ詣でたということで、幼い者たちは寝ていたが、義通が、 「入道殿の御使いで参った」 と申し入れたところ、 「私も、私も」 と叫びながら走り出た。義通が、 「入道殿は船岡山に籠もっている。おっしゃることに、また都に合戦があるだろうが、戦の習い、生きて子供たちに会いたいが、戦死して会えなくなることもあるので、子供たちを呼んで来るようにとのことなので、お迎えに参りました」 と告げたところ、十一歳になる亀若、九つになる鶴若、七つになる天王の三人が、大喜びで、早速輿に走り寄り乗った。十三歳になる乙若丸は、 「父は、下野殿の許にいらっしゃると聞いている。船岡山に籠るわけがない」 と不審がった。波多野が、 「どうして嘘を申すことがありましょう」 と言い訳をして、 「早く輿にお乗りなさい」 と催促した。しかし、乙若丸は、 「母もみうすぐ八幡からお帰りだろう。母が帰って来てからの事」 と断ったが、三人の弟が、 「兄御前よ、早く言うことを聞いて、父の所へ急いで行こう」 とせかすので、気がすすまないまま乗った。道中、幼い者たちは輿きどもに 「遅いよ、遅いよ」 と言いはやすのは、何ともかわいそうなことであった。屠所に引かれ行く羊の歩み同然と気付いていないのは不憫な事だ。

既に船岡山にいた りて、小松こまつ一叢ひとむら あるところ に、輿 ゑたる。三人の弟ども、急ぎ輿の内より出でて、 「いづらは、父御前は」 とて、かなたこなたを見まはしけり。乙若丸は、道を りてくさむら の中を分け入りつるより意得こころえ て、輿よりも下りず、ただ忍びに涙をぞ流しける。
波多野次郎、おさな き人々をひざ の上に ゑて、かみ かき でて、泣く泣く申しけるは、 「まこと にはいか でかおぼ さるべき。判官殿、君の御かたき とならせたまひて候ふあひだ、頭殿かうのとの の御承りにて、正清が太刀たち りにて、討たれさせたまひ候ひぬ。御兄の人々は、八郎御曹司ばかりこそ落ちさせたまひて候へ。四郎左衛さゑ もん 殿より始めて、五人は、あの見え候ふ草の叢々むらむら 高き所にて、昨日、皆々斬られさせたまひ候ひぬ。その死骸しがい にて候ふやらん、からす のはばめき候ふ。公達たちをば、義通が承りにて、只今ただいま これにてうしなまゐ らせんずるにて候ふ」 と申しければ、少き者ども、 「これは夢かや、まこと かや」 とて、義通に取り付きて、声々に泣きをめ く。その中に、乙若殿、少し大人おとな しければにや、輿の物見ものみ に取り付きて、しの びに涙は流せども、声を立てては泣かざりけり。

いよいよ船岡山に着いて、小松がこんもり茂っている所に輿をおろした。三人の弟は急いで輿から下りて、 「どこにいらっしゃるのか、父御前は」 と口々に言いながら、あちこち見まわす。乙若殿は、道をそれて草むらの中を分け入りだした時からそれと気付き、輿から下りようともせず、ひそかに涙を流した。
波多野次郎が、幼い者どもを膝の上に抱きかかえて、髪を撫でながら、泣く泣く、 「本当のことをご存じないことでしょう。判官殿は朝敵となり、頭殿の命令で、正清が太刀取りで討たれました。御兄の人々については、八郎御曹司だけは逃げのびました。四郎左衛門殿以下五人は、あそこに見える草のこんもり高く茂っている所で、昨日、皆斬られてしまわれました。その死骸なのであろう、烏が鳴いている。義通が承って、公達たちの命をここで頂こうとしているのです」 と告げたところ、幼い者どもは、 「これは夢か、まことのことか」 と義通に取りすがって泣きわめく。なかで、乙若殿は少し大人びて、輿の物見に取り付いて、ひそかに涙は流しても、声をあげて泣くことはなかった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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