左馬頭、ともかくも物も言はず、涙をはらはらと流して、 「さらば、汝、よき様
に計らひ申せ」 とぞ宣ひける。正清、 「さ候はば、御対面候ひて、すかし進まゐ
らさせたまへ」 と申しければ、流るる涙を押し拭ぬぐ
ひて、さらむ体てい にもてなし、入道にふだう
の御前に参り、 「義朝、今度の合戦の大将軍だいしやうぐん
として、忠節を致いた す。数輩すはい
の若党わかたう 討う
ち死じ にし、手負てお
ひ候ふ。然しか りといへども、未いま
だ勲功の賞にも預あづか らず候ふの処ところ
に、御首を刎は ねて進まゐ
らせよと、度々どど 仰せ下され候ふのあひだ、今度の忠賞に申し替へて、御命ばかりをこそ申し助け進まゐ
らせて候へ。但し、平氏へいし
清盛きよもり 、させる忠功も候はねども、大国だいこく
あまた賜たま はり、一族朝恩ていおん
に誇る。義朝など、頭かしら を指さ
し出い だすべきやうも候はず。それに、かくて御わたり候へば、石の中のせいとかやのやうに思おぼ
え候ふ。人の口は悪わろ きものにて候へば、いかなる讒言ざんげん
や出い で来き
候はんずらん。東山ひがしやま
なる所に、庵室あんじつ を構へ持ちて候ふ。貴たふと
き所に候へば、かれに渡らせたまひ候ひて、しづかに御念仏候へかし」 と申されければ、入道、先ま
ず涙はらはらとこぼして、 「あはれ、人間の宝には、子に過ぎたるものこそなかりけれ。子ならざらん者、誰たれ
かはかく身に替か へて助くべき。生々しやうじやう
世々せせ にもこの恩忘るまじきぞよ」
とて、手を合わせ喜びたまふ。義朝、心中に、 「無慙むざん
の事かな。只今ただいま 斬られたまはん事をも知りたまはず、かく宣のたま
ふよ」 と思ひければ、涙のすすむを、さらぬ体てい
にもてなして、 「さらば、正清まさきよ
、御輿こし 進まゐ
らせよ」 と宣へば、 「承り候ふ」 とて、白木しらき
なる腰車こしくるま を引き出す。さすがに余波なごり
の惜しければ、出い で遣や
りたまはざりけるを、正清、 「疾と
う、疾と う」 と申す程に、心ならず乗りやまふ。
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左馬頭は、何も言わず、涙を流すばかりであったが、
「それでは、汝がうまく取り計らってくれ」 と頼んだ。正清は、 「それではご対面のうえ、うまくとりつくろってください」 と言うので、涙を拭って、何気ないふりをして、入道の前に出向き、
「義朝は今度の合戦の大将として忠義の働きをした。多くの若者どもが討死をし、負傷しました。しかし、いまだ勲功の賞もいただいていないのに、親の首を刎ねて差し出せと度々宣旨が下されましたので、今度の勲功の賞に引き替えて、御命をお助けいたしたく考えています。ただし、平家方清盛はたいした忠功もあげていないのに、大国をたくさん賜り、その一族大いに引き立てられている。義朝などとてもかないません。それに、このままでいましては石に閉じ込められたようなもの、人も口はうるさく、どんな讒言をされるかわかっやものではございません。東山に庵室を持っています。いい所なので、そこにお移りになって、静かに念仏をお唱えになられてはいかがでしょう」
とすすめたところ、入道は、まず涙をこぼして、 「ああ、人間の宝として子に過ぎるものはない。子供でなくて、どうして身に替えても命を助けてくれることがあろうか。この恩は決して忘れまい」
と、手を合わせてお喜びになった。義朝は、心中、 「ああ、おかわいそうなことをした。たった今斬られることを悟らず、こんなに喜んでいらっしゃることよ」 と思い、涙が出てやまないが、何気ないふうを装って、「それでは正清、御輿を用意せよ」
と命じたところ 「承りました」 と答えて、白木造りの腰車を引き出した。さすが名残惜しく、なかなか乗り込もうとなさらなかったが、正清に、 「お早く、お早く」
と急きたてられて、気が進まぬまま輿にお乗りになった。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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