〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/06/03 (日) 為 義 最 期 の 事 (一)

かやうにした しきをば親しきに らせて後、左馬頭さまのかみ の許へおほくだ されけるは、 「父為義ためよしなんぢもと にありときこ す。かうべ ねてまゐ らせよ」 と仰せられければ、再三 し申して、 「今度の勲功くんこう に申し替ふべき」 よしなげ き申すあひだ、 「さらば、余人よじん に仰せ下さるべき」 由、宣旨せんじ しきなみなりしかば、義朝よしとも鎌田かまだ 次郎を招きて、 「かかる事こそあれ。綸言りんげんおも んじ、父のくび らば、 逆罪ぎやくざい のそのいち を犯すべし、不幸ふかう の罪におそれ、詔命じようめいそむ かば、また、違勅ゐちよく の者になりぬべし。とも計らひがたきぞ」 とのたま ひければ、正清まさきよかしこ き者にて、 「勅宣ちよくせん に親の頸を切れと申し候ふ事は、古きことわざ にて候ふ。就中なかんづく 、昔も候へばこそ、仏も説かせたまひて候ふらめ。観経くわんぎやう説相せつそう を見候ふに、毘陀びだ 論経ろんぎやう を引きて はく、劫初ごふしよ より以来このかた 、国をむさぼ らん為に父を害する悪王あくわう 、一万八千人と見えて候ふ。国を取り、位を奪はんとて、父を殺すわう だにも、これ程に多く候ふぞかし。申し候はんや、朝敵てうてき とならせたまひて、のが れがたくおはしまさんずる御命を、人手に け奉らせたまはん事、中々なかなか 面目めんぼく なき御事に候はずや。その上、さばかりの忠功ちゅうこう を、この一事に りて、むな しく成させたまはん事、いかがあるべく候ふらん。ひそ かにうしなまゐ らせて、後の御孝養けうやう をこそ能々よくよく 奉らせ候はめ」 と勧め申すぞあさましき。
このように親しい者に親しい者を斬らせた後、左馬頭の許に、 「父為義は汝の許に居ると聞く。その首をはねよ」 と命令が下った。義朝は再三にわたり断って、今度の戦功と引き替えにしてほしいと懇願したので、 「それでは別の者に命ずるがよい」 と宣旨が矢つぎばやに出された。義朝は鎌田次郎を呼び寄せて、 「困ったことが起こった。綸言を重んじ、父の首を斬るならば、五逆罪のうちの一つを犯すことになる。といって、不幸の罪を恐れ、詔命に背くならば違勅の者と烙印を押されてしまう。いずれにしても難題よ」 と語りかけたところ、正清は賢い者で、 「勅宣によって親の首を斬るということは古い諺にもあります。なかでも、昔もこのようなことがありましたから、仏も説いておいでになるのでしょう。観経の説相を見ますと、毘陀論経を引いて説いて言うには、劫初以来、自分の天下に執着するあまり父を殺した悪王は、一万八千人と書いてあります。国家をわがものとし、皇位を奪おうとして父を殺した王でさえこんなに多くいるのです。ましてや、朝敵となられて逃亡した者につき、他人にゆだね殺すなど、かえって面目ないことではないでしょうか。そのうえ、この度の大変な功績を、このことで失ってしまわれるのはどうかと思われます。それと告げずに殺して、死後の御供養を充分になされるのがよろしいでしょう」 とすすめたのは嘆かわしい。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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