〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/06/03 (日) 為 義 降 参 の 事 (三)

入道、のたま ひけるは、 「若く盛んなりし時、いとやすくなるべかりし伊与いよ陸奥守むつのかみ だにもならずして、衰老すいらう の今、出家入道してのち 、それ程の果報くわほう のあるべしともおぼ えず。 殿原とのはら にあらせんと思ひつる故にこそかかるみち ぜば き身ともなるぬれ。されば、和殿原は、若ければ、とも振舞ふるま ひたまへ、かうも振舞ひたまへ。入道は、義朝よしともたの みて でんと思ふぞ。その故は、今度の合戦に、清盛は播磨守はりまのかみ になりたんなるが、伯父おぢ 平馬助へいまのすけ 親子五人、申し助けたりときこ ゆ。義朝、左馬頭さまのかみ になりたんなれば、いかならむ勲功勧賞くんこうけんじやう にも申し へて、ちち 一人いちにん が命をばなどか助けざるべき。われ だにもたす かりたらば、和殿原をも助くるみち もあらむずれ。ただ でんと思ふは、いかに」 とのたま ひたまふ。
入道殿は、 「若く勢い盛んな時に容易に就ける筈だった伊予・陸奥守にさえならずに、老衰の今、しかも出家の身で、それほどの果報がわるわけはない。お前たちの為によかれと思って出家した。お前たちは若いのだから、どう振る舞おうとも勝手、ただし、自分は義朝を頼りにして降人になろうと思っている。なぜかと言えば、今度の合戦で、清盛は播磨守になったが、伯父平馬助親子五人の命を救ったという。義朝は左馬頭になったのだから、どんな勲功勧賞とも引き替えに、父一人をどうして助けられないことがあろう。まず自分が助かったら、次はお前たちを助ける手立ても出てこよう。ここは出頭しようと思うが、どうだろうか」 と相談された。
八郎は、これを聞きて、色を失ひ、音もせず。そのほか の子供は、 「かように ひ奉るも、我等われら が身の上はさておきぬ、ただ御事の心苦こころぐる しさにこそ候へ。ともかくも、御身の助からせたまはん事こそよく候はめ。ただ御意ぎよい にこそ」 と申しければ、 「さらば」 とて、雑色ざふしき 花沢はなざは を使者として、義朝に言はんずるやうは、 「 が身重病をうけ、出家入道して候ふ。急ぎ迎へに輿こし べ。それへ かんずるなり」 とて、遣はしけり。
八郎はこれを聞いてがっかりして返事もしない。その外の子供たちは、 「このように付き添っていて、自分たちはどうなろうと覚悟のうえだからいいが、ただ、入道殿は自分たちのことを気遣っているのだろう。ともかく、入道殿の助かることが最善の手立て、お心のままに」 と言ったので、 「それでは」 ということになり、雑色花沢を使者として、義朝に、 「重病になり、出家入道した。急いで迎えの輿を頼む。お前の所に行きたい」 と申し入れた。
入道、 「西坂下にしさかもとくだ らん」 とて、子供あひ れて行きけるが、大岳おほたけしも水飲みづのみへん にて、のたま ひけるは、 「今は迎への者も近付くらん。各々、これより、何方いづかた へも落ち行くべし。我が身の上をだにも知らざれども、和殿原が事をも試みんずるぞよ」 とて、まこと名残なごり しげにて、しき りに涙をぞぬぐ はれける。子供も、また、父をなか めて、手に手を取り組み、袖を引かへて、ただ泣くよりほか の事もなし。
入道が、 「西坂本へ下ろう」 とおっしゃるので、子供たちは付き添ったが、大岳の下、水呑の辺りで、入道殿は、 「迎えの者も近付くころ、おのおの、何方なりともここから落ち延びよ。自分の命さえわからないことではあるが、お前たちの助命も心がけよう」 と言って、実に名残惜しそうに、しきりに涙を拭った。子供たちも、また、父を中に取り囲んで、手を取りあい、袖を引いて、泣くより他なかった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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