さて、河原面を警護している四郎左衛門尉頼賢と掃部助頼仲が、三十余騎の軍勢を引き連れて、為朝が警護している大炊御門西門を馳せ避けて、真東へ駆け渡って、義朝が大勢でひかえている中へ駆け入り、中に駆け入るかと思えば外へ駆け出るなど、蜘蛛手・十文字と相乱れて戦った。義朝はこれを見て立腹、
「頼賢や頼仲ごとき、逃がすな、漏らすな。討ち取れ、討ち取れ」 と叫んで、真ん中に追い込んで討とうとしたが、うまく立ち回って、多くの敵を討ち取り、味方の軍勢は少々負傷したものの、敵陣をかけ破って、もとの陣営に戻った。為朝はこのありさまを見て怒り、
「日ごろ軽んじている兄に先制攻撃をかけられるなどもってのほか」 とばかり、太刀を引き抜き、のけ甲になって喚きながら駆けて来たので、義朝は、不利と覚悟したのか、為朝と出会わぬよう、河原を下りざまに退いた。為朝はますます怒り、あちこち軍勢を追い駆けまわし、あたり二、三町には、敵の軍勢が見当たらないほどせあった。為朝は合戦に勝って一息ついていたが、攻めかかってくる敵もいない上、馬も疲れたので、ゆっくり引き返して、もとの門のあたりに控えて、差しては引き差しては引き、矢を射たところ、一矢で二人殺すことはあっても、一人も射殺せないなどということはなかった。矢を射尽くし、箙を負い替え負い替え射たが、矢を無駄にすることなどなかった。あの樊?
が鴻門に討ち入り、紀信が鶏林を破ったなども知られているが、これほど見事な戦いぶりとは思えない。 大炊御門の東門へは、兵庫頭が向かった。忠正と頼憲が防ぎ戦って、とても破れそうになかった。西面は、判官父子が命を惜しまず防いだので、入れ替わり入れ替わり、攻める者はいてもかなわず引き退いた。春日面は、家弘や光弘以下、手強く防いでいたので、寄せ手も攻める度に退くほかなかった。 |