〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/28 (月) 白 河 殿 攻 め 落 と す 事 (十)

ここ に、河原面かはらおもて を固めたる四郎しろう 左衛門尉さえもんのじょう 頼賢よりかた掃部助かもんのすけ 頼仲よりなか 、三十余騎をあひ して、為朝の固めて射あひ切り合ひ戦ひける大炊おおひの 御門みかど 西門を駆け きて、真東まひがし へ駆け渡り、義朝が大勢の中へ駆け入りて、内へ駆け、外へ駆け、蜘蛛手くもで じふ 文字もじ に、ひと もみもうで、散々にぞ戦ひたる。義朝、 「やす からず」 と思ひて、 「頼賢・頼仲ならばあま すな、 らすな。討ち取れや、組み取れや」 とて、真中まんなか に追いつ取り めて討たんとすれども、手にもたまらずまは り、かたき あまた討ち取り、御方みかたせい 少々手負ひて、駆け破りて、もと の陣へぞ帰りにける。為朝、これを見て、いか りをなして、 「何とも思ひ奉らぬ兄の殿原とのばらさき せられつるこそ安からね」 とて、太刀たち 引き抜き、のけかぶと になって、をめ いて駆くれば、義朝、これを見て、よしなしや思ひけん、引きそらして、河原を下りに退しりぞ く。為朝、いよいよ 怒りをなして、あの勢に駆け入り、この勢に駆け合はせ、馳せ廻り、二、三町より内外うちと には、敵一騎もなかりけり。為朝、戦ひし勝って控へたれども、近付く者もなき上、馬疲れにければ、しづしづと引き返して、もと の門に打つ立って、差しつめ差しつめ射けるに、一矢ひとや にて二人ににん 死する事はありけれども、一人いちにん 死なぬはなかりけり。矢種やだね きぬれば、えびら へ負ひ替え射けるに、あだ矢一つもなかりけり。樊?はんくわい が鴻門に入り、紀信きしん鶏林けいりん を破りしも、これまではとぞおぼ えける。
大炊御門の東門へは、兵庫頭ひょうごのかみ 向ひたり、忠正ただまさ頼憲よりのり 防ぎ戦ひけるあひだ、破るべきやうもなし。西面にしおもて は、判官はんぐわん 父子ふし身命しんみやう を惜しまず防ぎければ、入れ替へ入れ替へ戦ふ者はありけれども、ことごと退しりぞ く。春日面かすがおもて は、家弘いへひろ光弘みつひろ 以下いげ 、手痛く防ぐあひだ、寄方よせかた 度々どど 引きて退 く。

さて、河原面を警護している四郎左衛門尉頼賢と掃部助頼仲が、三十余騎の軍勢を引き連れて、為朝が警護している大炊御門西門を馳せ避けて、真東へ駆け渡って、義朝が大勢でひかえている中へ駆け入り、中に駆け入るかと思えば外へ駆け出るなど、蜘蛛手・十文字と相乱れて戦った。義朝はこれを見て立腹、 「頼賢や頼仲ごとき、逃がすな、漏らすな。討ち取れ、討ち取れ」 と叫んで、真ん中に追い込んで討とうとしたが、うまく立ち回って、多くの敵を討ち取り、味方の軍勢は少々負傷したものの、敵陣をかけ破って、もとの陣営に戻った。為朝はこのありさまを見て怒り、 「日ごろ軽んじている兄に先制攻撃をかけられるなどもってのほか」 とばかり、太刀を引き抜き、のけ甲になって喚きながら駆けて来たので、義朝は、不利と覚悟したのか、為朝と出会わぬよう、河原を下りざまに退いた。為朝はますます怒り、あちこち軍勢を追い駆けまわし、あたり二、三町には、敵の軍勢が見当たらないほどせあった。為朝は合戦に勝って一息ついていたが、攻めかかってくる敵もいない上、馬も疲れたので、ゆっくり引き返して、もとの門のあたりに控えて、差しては引き差しては引き、矢を射たところ、一矢で二人殺すことはあっても、一人も射殺せないなどということはなかった。矢を射尽くし、箙を負い替え負い替え射たが、矢を無駄にすることなどなかった。あの樊?はんかい が鴻門に討ち入り、紀信が鶏林を破ったなども知られているが、これほど見事な戦いぶりとは思えない。
大炊御門の東門へは、兵庫頭が向かった。忠正と頼憲が防ぎ戦って、とても破れそうになかった。西面は、判官父子が命を惜しまず防いだので、入れ替わり入れ替わり、攻める者はいてもかなわず引き退いた。春日面は、家弘や光弘以下、手強く防いでいたので、寄せ手も攻める度に退くほかなかった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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