いつたいに、下野守義朝が、門が多くあるなか、わざわざ父為義が警護する門の続き、弟為朝が担当するこの門に向かったのは、かの阿闍世太子が父頻婆娑羅王をお攻めになったように、五逆深重のいわれを知らないのはあきれたことだ。門々に響く鏑矢の遠声、矢叫びの声たえることなく、馬の馳せ違うこと、まるで大地が震動するようだ。名乗っては駆け、あるいは遠ざかり、組み合って落馬する者や落ち重なる者がいる。寅の刻から始まった合戦が、しだいに夜も明けて、日が高くなってゆくにつれ、攻め手の負け色がはっきりしてきた。 為義と為朝は勝ちに乗じて攻め戦った。 義朝と清盛は顔色を失って引き退き、あちこちに控えていた。どの門も同じく内裏方の負け戦であった。下野守は、内裏に使者を遣わして、
「我ら官軍、勅命第一、命は第二と攻め戦い、数刻の時が過ぎたが、逆徒どもの勢いまことに強く、我が軍では命を失い、負傷者続出のていたらく。??の陣は破れ、敗北の蹄が轟こうとしている。我、しきりに戦士を叱咤したが、先陣すら進むことが出来ない。後続の軍勢も後に続かず、今に至るも攻め落とすことが出来ない。こうなったら、御所に火をかけるよりほか、味方が勝つことは難しい。しかし、あいにく法勝寺が近隣にある。となると、燃え移ることは間違いない。いかがいたしたものか、再度、宣旨をいただきたい」
と報告した。そこで、信西は天皇の仰せをたまわり、 「義朝は愚かなことよ。天皇の権威が守られるかぎり、法勝寺ほどの伽藍のごとき、一日の内に再建させることぐらい、何の難しいことがあろうか。早く御所に火をかけて攻めるがいい」
と伝えられたので、義朝は早速、院の御所の西、藤中納言家成の宿所に火をかけた。ちょうど西の風が激しく吹いて、黒煙が御所中に充満して、門々を守る兵どもは煙に咽んで乱れ散った。修羅闘諍の戦いがまだ終わらないうちに、無間大城の獄の火が早くも襲い来る。恐ろしきかな、人馬馳せさわぐ音、軍兵があわて迷う声、天を響かせ、地を動かしているようである。官軍は意気あがって鉾をさし上げ、院中の兵は武器を捨てて逃げ去った。六条判官父子は、為朝以下、四方を駆け回って防ぎ戦ったが、あいにく門は破られ、蜘蛛の子を散らすように軍勢は散り散りになった。
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