〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/29 (火) 白 河 殿 攻 め 落 と す 事 (十一)

そもそも 、下野守義朝、門こそあまたある中に、父為義がかた めたるその続き、弟為朝がうけたまは るこの門へしも向ひけるは、 じや 太子たいし の父頻婆娑羅びんばしやら わう を攻められける、五逆ごぎやく 深重じんぢゆういはれ をも知らざりけるこそあさましけれ。およ そ、門々のかぶら遠声とほごゑ さけ びの声、ひま もなく、馬の馳せ違ふ事、大地だいぢ 震動しんどうこと くなり。名乗り け、名乗り捨て、組んで つる者あり、落ち重なる者もあり。寅剋とらのこく より始まりたる合戦の、やうや く夜の明け、日の け行けば、かた 、負け色にこそなりにけれ。
為義、為朝、勝つに乗って攻め戦ふ。義朝・清盛、色を失ひて退しりぞ き、所々に控へたり。いづれ の門々もかくのごとし。下野守、内裏だいり へ使者をまゐ らせて、申しけるは、 「官軍くわんぐん 勅命ちょくめいおも んじ、命をかろ んじて、攻め戦う事、既に数剋すこく に及ぶといへども、逆徒ぎやくと まことこは くして、命を損じ、きずかうぶ る者、数を知らず。しかるあひだ、??へんご の陣破れて、敗北のひづめ とどろ きなんとす。義朝しき りに戦士せんじいさ むといへども、一陣いちじん 進まず。残党ざんたう がざるあひだ、今に攻め落とし難し。所詮しよせん 、御所に火を懸けずよりほか は、御方みかた を得る事かた かるべし。しかりといへども、法勝寺ほつしようじ 近隣なり。余炎よえん 定めてのが るべからざるか。重ねて勅定ちよくぢやうかうぶ るべき」 よし 申したりければ、信西しんぜいおほ せをうけたまは りて、 「義朝、おろ かなり。君、君にてわたらせたまはば。法勝寺程の伽藍がらん をば、一日の内に建てさせたまふとも、あに かた かるべきや。すみ やかに火を懸けて、攻むべきなり」 と申されければ、院の御所の西、とう 中納言ちゆうなごん 家成卿いえなりのきやう宿所しゆくしよ に火をぞ懸けてける。
折節おりふし 、西の風はげ しく吹きて、黒煙くろけぶり 御所中に押しおほ ひ、門々のつはもの ども、煙にむせ びて、乱れ散る。修羅しゆら 闘諍とうじやう の戦ひ、いま だ終わらざるに、無間むげん 大城たいじやう獄火ごくくわたちま ち攻め来たる。恐ろしきかな、人馬じんばさわ ぐ音、軍兵ぐんぴやう のあわて迷ふ声、天を響かし、地を動かすがごと くなり。官軍は勇みてほこ をあげ、院中の兵はつるぎ を捨てて逃げ去りぬ。六条ろくでう 判官はんぐわん 父子、為朝を始として、四方を馳せめぐ りて防ぎ戦ひけれども、門破れて、蜘蛛くも の子を散らすが如くなりてける。

いつたいに、下野守義朝が、門が多くあるなか、わざわざ父為義が警護する門の続き、弟為朝が担当するこの門に向かったのは、かの阿闍世太子が父頻婆娑羅王をお攻めになったように、五逆深重のいわれを知らないのはあきれたことだ。門々に響く鏑矢の遠声、矢叫びの声たえることなく、馬の馳せ違うこと、まるで大地が震動するようだ。名乗っては駆け、あるいは遠ざかり、組み合って落馬する者や落ち重なる者がいる。寅の刻から始まった合戦が、しだいに夜も明けて、日が高くなってゆくにつれ、攻め手の負け色がはっきりしてきた。
為義と為朝は勝ちに乗じて攻め戦った。
義朝と清盛は顔色を失って引き退き、あちこちに控えていた。どの門も同じく内裏方の負け戦であった。下野守は、内裏に使者を遣わして、 「我ら官軍、勅命第一、命は第二と攻め戦い、数刻の時が過ぎたが、逆徒どもの勢いまことに強く、我が軍では命を失い、負傷者続出のていたらく。??の陣は破れ、敗北の蹄が轟こうとしている。我、しきりに戦士を叱咤したが、先陣すら進むことが出来ない。後続の軍勢も後に続かず、今に至るも攻め落とすことが出来ない。こうなったら、御所に火をかけるよりほか、味方が勝つことは難しい。しかし、あいにく法勝寺が近隣にある。となると、燃え移ることは間違いない。いかがいたしたものか、再度、宣旨をいただきたい」 と報告した。そこで、信西は天皇の仰せをたまわり、 「義朝は愚かなことよ。天皇の権威が守られるかぎり、法勝寺ほどの伽藍のごとき、一日の内に再建させることぐらい、何の難しいことがあろうか。早く御所に火をかけて攻めるがいい」 と伝えられたので、義朝は早速、院の御所の西、藤中納言家成の宿所に火をかけた。ちょうど西の風が激しく吹いて、黒煙が御所中に充満して、門々を守る兵どもは煙に咽んで乱れ散った。修羅闘諍の戦いがまだ終わらないうちに、無間大城の獄の火が早くも襲い来る。恐ろしきかな、人馬馳せさわぐ音、軍兵があわて迷う声、天を響かせ、地を動かしているようである。官軍は意気あがって鉾をさし上げ、院中の兵は武器を捨てて逃げ去った。六条判官父子は、為朝以下、四方を駆け回って防ぎ戦ったが、あいにく門は破られ、蜘蛛の子を散らすように軍勢は散り散りになった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ