また、常陸国の住人関次郎、甲斐国住人志保美五郎・同六郎が轡を並べて駆け出て来た。為朝これを見ていつもの先細の矢をつがえて、真っ先に馳せて来る志保美五郎の首の骨を射切ってやろうと射た。志保美、これをきっと見詰めて、矢を避けようと首を振ったが、為朝の射た矢、どうしてはずれることがあろうか。当たり所は少し上になったが、甲の鉢付の板を左から右に?
をはめたように、つっと射抜かれた。真っ逆さまに馬からころげ落ちたところを、手捕の余二が走り寄って首を切り落とし、矢を抜かないまま、その矢をかついで、首と甲をともに運んで来た。八郎はつくづくと眺めて、我が弓勢の強さにうっとりしていた。関次郎は、このありさまを見て、剛胆な武士だったので、馬を押し倒して、
「馬の腹を射られてしまった」 と偽って、ともかくその場を逃げおおせた。その次に、信濃国の住人根井大野太が進み出て、 「合戦の陣は破軍星の者が破るという、退け、退け、殿ばらよ。この門を追い破ってやろう」
と叫んで駆け入ろうとしたところ、首藤九郎が充分に引き絞って放った矢で胸板を射抜かれて落馬した。また、根津神平が駆け出て来た。三丁礫の紀平次大夫は組み討をはかって近寄って来たろころを、根津神平は、そうはさせじと矢を射た。鎧の引き合わせて深く射込まれて、紀平次は落馬した。木曾仲太、弥仲太、越矢源太、大箭新三郎も互いに入替わり入替わり、さんざんに戦って、皆それぞれ負傷して退いた。桑原安藤次が駆け出して来て、悪七別当に屈継を射抜かれて落馬した。これらを始として、義朝に従う兵どもが、我も我もと入替わり入替わり、時刻が変わるまで戦った。この合戦で討たれた者は五十三人、負傷した者二百余人ということであった。為朝側では、三丁礫の紀平次大夫と大箭の新三郎が重傷を負ったのと、高間兄弟が討死したほかは、軽傷さえ負う者がいなかった。 |