〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/28 (月) 白 河 殿 攻 め 落 と す 事 (九)

また、常陸国ひたちのくにの 住人ぢゆうにん 関次郎せきのじらう甲斐国かひのくにの 住人志保美しほみの 五郎ごらう ・同六郎、くつわ をならべて でたり。為朝、例の先細つが ひて、真先まつさき に進みたる志保美五郎が頸骨を射切らんと、差し当てて、放ちたり。志保美、きつと見て、矢にちが はんと打ち振りたりけれども、なじかははづるべき、矢坪やつぼ こそ少し上りたり、甲の鉢付はちつけ の板を、左より右へかせ に、つつと かれたり。真逆まつさかさま に落ちければ、手捕てどりの 余二よじ 、落ち合ひて、頸 り、矢を抜かずして、首とかぶと をば矢にてにな うて、打ちかつぎてぞ たりける。八郎、うち返しうち返し見て、弓勢ゆんぜい の程をぞ愛しける。関次郎、これを見て、したたか者なりければ、馬よりゆらりと下り、馬を押し倒して、 「馬の腹の射られたるぞや」 とて、這々はふはふ 逃げてぞ退 きにける。その次に、信濃国しなののくにの 住人根井ねのいの 大野太だいやた 、進み出でて、 「軍の陣をば 軍星ぐんせい の者こそ破るなれ。退退 け、殿原とのばら 。この門追ひ破らん」 とて、 け入りけるところを、首藤九郎、よつ いて放つ矢に、胸板むないた 射させて落ちにけり。根津ねづの 神平じんぺい 、駆け でたり。三丁さんぢやう 礫紀平次つぶてのきへいじ 大夫たいふ 、組まんとあひぢか に寄る所を、根津神平、支へてひやうど射る。引合ひきあはせ 篦深のぶか に射られ落ちにけり。木曾きその 仲太ちゆうた弥中太やちゆうた越矢こしやの 源太げんだ大箭おほやの 新三郎しんざぶろう 、互ひに入れ違ひ、散々さんざん に戦ひて、各々おのおの 手負てお ひて引き退しりぞ く。桑原くはばらの 安藤次あんどうじ 、駆け出でて、悪七別当あくしちべつたう屈継くつけい させて落ちにけり。これ を始として、義朝にあひ 従ふつはもの ども、我も我もと、入れ替へ入れ替へ、時移るまで戦ひければ、やには に討たるる者五十三人、きずかうぶ る者二百余人とぞ聞こえし。為朝のかた には、三丁礫紀平次大夫と大箭新三郎が大事だいじ の手負ひたると、高間兄弟討たれたるよりほか は、薄手うすで をだにも負はざりけり。

また、常陸国の住人関次郎、甲斐国住人志保美五郎・同六郎が轡を並べて駆け出て来た。為朝これを見ていつもの先細の矢をつがえて、真っ先に馳せて来る志保美五郎の首の骨を射切ってやろうと射た。志保美、これをきっと見詰めて、矢を避けようと首を振ったが、為朝の射た矢、どうしてはずれることがあろうか。当たり所は少し上になったが、甲の鉢付の板を左から右にかせ をはめたように、つっと射抜かれた。真っ逆さまに馬からころげ落ちたところを、手捕の余二が走り寄って首を切り落とし、矢を抜かないまま、その矢をかついで、首と甲をともに運んで来た。八郎はつくづくと眺めて、我が弓勢の強さにうっとりしていた。関次郎は、このありさまを見て、剛胆な武士だったので、馬を押し倒して、 「馬の腹を射られてしまった」 と偽って、ともかくその場を逃げおおせた。その次に、信濃国の住人根井大野太が進み出て、 「合戦の陣は破軍星の者が破るという、退け、退け、殿ばらよ。この門を追い破ってやろう」 と叫んで駆け入ろうとしたところ、首藤九郎が充分に引き絞って放った矢で胸板を射抜かれて落馬した。また、根津神平が駆け出て来た。三丁礫の紀平次大夫は組み討をはかって近寄って来たろころを、根津神平は、そうはさせじと矢を射た。鎧の引き合わせて深く射込まれて、紀平次は落馬した。木曾仲太、弥仲太、越矢源太、大箭新三郎も互いに入替わり入替わり、さんざんに戦って、皆それぞれ負傷して退いた。桑原安藤次が駆け出して来て、悪七別当に屈継を射抜かれて落馬した。これらを始として、義朝に従う兵どもが、我も我もと入替わり入替わり、時刻が変わるまで戦った。この合戦で討たれた者は五十三人、負傷した者二百余人ということであった。為朝側では、三丁礫の紀平次大夫と大箭の新三郎が重傷を負ったのと、高間兄弟が討死したほかは、軽傷さえ負う者がいなかった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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