その後、武蔵国
の住人ぢゆうにん 金子かねこの
十郎じふらふ 家忠いへただ
、芦毛あしげ なる馬に乗りて黒革縅くろかはおどし
の鎧、紅くれなひ の旗をぞかけたりける。
「生年しやうねん 十九歳、軍いくさ
にあふ事、これぞ始めなる」 とて、弓をば肩に懸か
くるままに、太刀たち を抜きて額ひたひ
にあて、為朝の陣ぢん の内へ喚をめ
いて駆か け入り、散々さんざん
に駆け廻る。八郎これを見て、 「奴やつ
は、怪け の者かな。ここにて射落とし討う
ち取と りたらば、多勢たぜい
が取り籠こ めて討ちたりとこそ言はんずれ。誰たれ
にてもあれ、馳は せ出い
でて、敵かたき の見ん所にて、下さ
げてこよ」 とぞ申されける。これを聞きて、高間たかまの
四郎しらう 、陣内ぢんない
を壱段いつたん ばかり馳は
せ抜ぬ きて、押し並べて、組んで落つ。高間は三十余の大男。したたか者なり。金子は十九になりけるが、未いま
だ若わか き者なり。されども、しばらくは組み合ひけるが、いかがしたりけん、高間、おめおめと下になる。金子、上に乗り居い
て、左右の袖そで をむずとふまへて動はたら
かさず、首を取らんとする処に、兄の高間たかまの
三郎さぶろう 、馬より飛んで下お
り、後ろよりさつと寄り、金子が甲かぶと
の天辺てへん に手を入れ、引きあをのけんとする処ところ
に、金子、抜きて持ちたる刀なれば、下なる四郎がとどめを刺さ
しもあへず、上なる三郎が弓手ゆんで
の草摺くさずり をむずとつかんで、引き寄せ、上あ
げさまに、こみ差ざし に三刀みかたな
刺さ して、 「えいや」 と突きのけたり。各々おのおの
運や尽きにけん、さばかりのしたたか者と聞きこ
えし高間たかまの 三郎も、大事の手負てお
ひしかば、のけざまにこそ倒れにけれ。金子、つつと立ちて、起きもあがらせず、押へて首を取りてけり。四郎は、本よりとどめを刺されて動はたら
かざりけるを、心静かに首を取り、二人の首提ひつさ
げ、馬引き寄せ、ゆらりと乗って、大音声だいおんじやう
をあげて、 「武蔵国の住人金子十郎家忠、音おと
に聞こえさせたまふ筑紫つくし
の御曹司おんざうし の御前にて、宗むね
との侍さぶらひ 二人、手討てうち
にして、罷まか り出い
づるぞや。敵てき も御方みかた
も物を見よや。昔も今も例ためし
少なくこそあるらめ。かかる晴れの軍いくさ
し終おほ せて、後代に名をあげんずる家忠ぞ。但し、高名かうみやう
したればとて、急ぎては罷まか
り出い づまじ。御曹司おんざうし
の御内みうち に、我と思はん侍ども、駆か
け出い でて、家忠に組めや組めや」
とて、折り返し折り返し控へたり。 |
その後、武蔵国の住人金子十郎家忠が、芦毛の馬に乗り、黒革縅の鎧姿で、紅の旗なびかせて駆けて来た。家忠は、
「生年十九歳。今日が初陣よ」 と叫びつつ、弓を肩に掛け、太刀を抜いて額にあて、為朝の陣営の中に駆け入り、さんざん駆け廻った。為朝はこれを見て、 「やつは健気な武士よ。ここで射落として討ち取ってしまうと、敵からは卑怯にも多勢で取り囲んで討ったなどと言われてしまう。誰でもいい、ただ一騎で駆け出して、敵の見ている前で討ち取り、首を引っ下げて来い」
と命じた。 これを聞いて、高間四郎が陣営から一段ほど抜け出して、馬を押し並べ、組み合ったまま、ともに馬から転がり落ちた。高間は三十歳ほどの大男、気丈な武士である。一方の金子は十九になるとは言うものの、いまだ未熟な武士である。だが、しばし組み合ううち、どうしたことか、高間が威勢弱く、組み伏せられてしまった。金子は上にまたがって、左右の鎧の袖を踏んづけて動かせないまま、高間の首を取ろうとしたところに、四郎の兄高間三郎が馬から飛び下り、後ろからさっと走り寄って、金子の甲の天辺に手を引き入れて、あおのけにしようとしたので、金子は、刀を抜いて持っていたので、下の四郎のとどめを刺すや、返す刀で、覆いかぶさる三郎の左の草摺をむんずとつかんで、引き寄せ、突き上げるように、めちゃくちゃに三刀、えいやとかけ声もろとも突き刺した。兄弟それぞれに運が尽きたのか、あれほど豪胆をもって鳴らした高間三郎も重傷を負って、あおのけざまに倒れてしまった。金子はさっと立って、三郎を起き上がらせず、押し付けて首を取った。四郎も先程とどめを刺されて動かなくなっていたが、慌てることなく首を取った。金子は二人の首を掲げ持ち、馬を引き寄せ、ひらりと乗って、大音声をあげて、
「武蔵国の住人金子十郎家忠、武名高き筑紫の御曹司の御前で、主だつ侍二人を手討にして退出する所。この晴れ姿、敵も味方もご覧あれ。昔にしろ今にしろ、ためし少ない勇敢な働きよ。このような軍功を無事あげて、後代に名を挙げようとする家忠ぞ。ただし、高名挙げたからといって、このまま、急いで退くつもりはない。御曹司の陣営に、我こそと思う侍がいるのなら、駆け出て家忠に組め」
と、馬を行ったり来たりさせながら、待ち構えていた。 |
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首藤すどう
九郎、 「安からぬ事なり。奴やつ
を提ひつさ げて参り候はん」
とて、打って出い でけるを、為朝、
「しばし待て、家李いへすゑ 。この者一人いちにん
討つたればとて、軍いくさ の勝負あるべしや。例の先細さきぼそ
一つにてこそ射落さん事は無下むげ
に易やす けれども、これ程の剛かう
の者を念なく失はん事、情なさ
けなかるべし。その上、為朝、この軍いくさ
に打ち勝ちて、東八箇国とうはつかこく
を知行ちぎやう せん時、彼等をば勘当許して、召め
し仕つか はむずるものなり。惜しき兵つはもの
なり。あたら侍さぶらひ 、討つべからず」
とて、押お し留とど
めらる。金子、心剛かう に、振舞ふるま
ひ抜群ばつぐん なるによって、虎とら
の口を遁のが れて、御方みかた
の陣に入りにけり。 武たけ くしては今生こんじやう
に面目めんぼく を施し、その忠ちゆう
代々よよ に絶えず、後代に名を留とど
め、その功こう 子孫に及ぶ。臆おく
しぬれば、恩禄おんろく 欠かく
くるのみならず、生きては恥辱をいだき、死しては謗そし
りを残すといへり。能々よくよく
思慮を廻めぐ らすべきは、兵つはもの
の道なるべし。 |
首藤きゅうろう九郎が、
「この大言許せぬこと。奴を討ち取り、首をひっ提げて来よう」 と駆け出そうとしたところ、為朝は、 「しばし待て、家李よ。あいつ一人を討ったからと言って、軍の勝負が決するわけではない。いつもの先細の矢を一矢射ただけで、あいつを射落とすのはたやすいが、敵ながら、これほど健気な武士を簡単に射落とすのは残念だ。そのうえ、為朝がこの合戦で勝ち、東八カ国を知行することになったあかつきには、あいつらの罪を許して召し使おうと考えている。それにしても惜しい兵よ。惜しんでもあまりある侍を討つことならぬ」 と言って制した。金子は健気に振舞い、その働き抜群なるによって、虎口を逃れて、無事味方の陣営に帰ることが出来た。剛胆な振舞いで今生に面目を得、その忠なる働きは長く称えられ、後代にも名誉は語り継がれて、その恩恵は子孫にまで及ぶことであろう。臆すれば恩禄を欠くにとどまらず、生きては恥多く。死しては謗りを残すと言う。兵の道、よくよく思慮をめぐらすべきと言うのは、このようなことなのであろう。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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