〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/26 (土) 白 河 殿 攻 め 落 と す 事 (七)

景親は、景能を置かんとて、あたりの小家こいへたた けども、戸をも けず、音もせず。力なくして、ここにや置かまし、彼処かしこ にや捨てましとしけれども、 「たす けばよく助けよ」 と ひけるあひだ、河原まで でて、とある小家に押し入れて、おろ ろし置き、我が身は、、 「また、いくさ に逢はん」 とて でけるを、景能、 景親がよろひそで を控へてよう 、 「いかに、ここは軍庭いくさば なれば、只今つはもの ども せ来たりて、降人かうにん ありやとて引き だされん時は、足が立たばこそ あは せをもせめ。かい なき奴原やつばら に押して首を取られん事の口惜しさよ。かつう は家の名を失ひ且は弓箭ゆみやきず にてもあるぞかし。我等が振舞ふるま ひつるやうをば、下野殿も のあたり見たまひつれば、臆病おくびやう にて でぬとはよもおぼ されじ。よくよく助け てたまへ」 と ひければ、景親、 「このほど しも、兄弟の中不快なり。しかるあひだ、今こそ落ち合ふところ よ」 と思ひければ、 「殿との は景親をば、させるとが ・誤りもなけれども、不忠ふちゆう の者ぞとて、常は不審したまへども、まことの時は、景親こそかかるせん にも会い奉れ。他人はたれ か助け奉るべき。明暮あけくれ 小目こめ 見せたまひつる事はいか に。 りたまはぬか」 と云ひければ、景能、おめおめとなりて、 「よしや、殿、日来ひごろ はともあれかくもあれ、自今じこん 以後いご和殿わどの に過ぎたる奉公の人やはあるべき。何事なりといふとも、のたま ふにこそ従はめ」 と、怠状たいじやう をしければ、 「さらば」 とて、また ひて でにけり。京中に置かんと思へども、落人おちうど とて、打ちや殺されんずらん、白河しらかは にや置かましと思へども、物具もののぐ に目を けて、盗人ぬすびと すらんとも思ひ、また、兄がよろひ重代ぢゆうだい なり、我が着たるも相伝そうでん の鎧なり、命にかへても惜しく思ふ。兄を、ぬげと言はんもこころもとなし。兄も弟も、鎧 ながら、大炊おほひの 御門みかど より山科やましな まで行きけるに、ただ二所ふたところ にて休みけり。左右さう なく行き着きて、ある者のもとあづ け置き、すなは ち、走り帰りつつ、その夜のいくさ にあひけるを、 めぬ者こそなかりけれ。

景親は景能を休ませるべく、あたりの小家の門を叩いたが、戸を開ける者とてなく、声をひそませていた。困り果て、ここに置こうか、あそこに捨てようかとしたが、 「助かる命なら助けてくれ」 と言うので、河原に下りて、とある小家に押し入って、そこにおろし、自分はもうひと戦と出ようとしたところ、景能は景親の鎧に袖をつかまえて、 「おい、ここは戦場だから、たった今にも兵どもが駆けて来て、敗残の者を探し求めて連行しようとした折、足が立つのならひと戦もできよう。取るに足らぬやつどもに押さえつけられて、首を取られることは残念でならない。家名を失い、武士としても恥ずかしいこと。我らの活躍ぶりを下野殿も直接ご覧ぬなったら、臆病で逃げ出したなど思うがずがない。頼む、助けてくれ」 と言う。景親は、 「近ごろ、我ら兄弟は不仲であった。だが、今が仲直りのいい機会」 と思い直し、 「あなたは景親にこれといって罪もないのに、常日ごろ、不忠の者といぶかしんでいた。しかし、いざという時は、景親が役に立つことおわかりか。他に、誰が助けてくれるというのか。日ごろの態度はどうしたことか。懲りなさったか」 と言ったので、景能は、意気地なく、 「わかった、これまでにことはともかく、これからはお前以上に自分に尽くしてくれる者はいないこと、よくわかった。何でも仰せに従うから」 とあやまったので、それではということになり、またかついでここを立ち去った。京中に隠しおこうとしたが、落人よと殺されるかも知れない、白河に隠しおこうかと考えたが、武具をかすめ取ろうとして盗人に倒されるだろうことを恐れた。兄の鎧も重代、自分の着けている鎧も相伝の大事な鎧、命以上に惜しんできた鎧よ。兄に鎧を脱ぎ捨てよというのも気がひける。そこで、兄も弟も鎧を着たまま、大炊御門から山科まで逃げのびたが、途中二ヶ所休んだだけで、とがめられる事もなく行き着き、知り合いの者に兄を預けて、景親はただちに走り帰って、その夜の合戦を戦った。人は皆その勇気を称えたことである。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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