為朝、首藤九郎を招きて、 「実
に、東国に取りては、これ等こそさる者どもと聞き置きたれ。何いず
れの矢にてか射んずる。為朝が先細さきぼそ
の、物を通るはめづらしからず。且かつう
は弓勢ゆんぜい の程をも見せんずるは、ただ今なり。鏑かぶら
にて疵広きずひろ に射殺さんと思ふはいかに」
と宣のたま ひければ、首藤、
「尤もつと もさるべしと思おぼ
へ候ふ」 と申しければ、例の大鏑おほかぶら
差さ し番つが
ひて、 「為朝、鎮西ちんぜい
に居住して、今いま まで各々を見知らざりけるこそ越度をちど
なれ。これぞ為朝が手て づから自みづか
ら作は ぎ誘こしら
へたる矢よ。手なみの程見よや」 とて、真先まつさき
に進みたる景能が腰骨こしぼね
を射切らんと、少し指し下げて、押し当てける処ところ
に、いかがしたりけん、馬相あい
退の きに退の
きければ、推お しもぢりける真甲まつかふ
にかせうて、思ふやうにも引かれず、馬既に遠ざかりけるあひだ、力なく、なほざりに放ちたり。 |
為朝は首藤九朗を呼び寄せて、
「確かに、東国ではこれらの武名はとどろいている。どの矢で仕留めようか。為朝が先細の矢で射貫くのは毎度のことよ。それにしても弓勢のほどを見せ付けておくのに、今は好機。鏑矢で傷広く射殺そうと思うがどうだ」
とおっしゃるので、首藤、 「それがよい方法だと思われます」 と答えた。そこで為朝は、あの大鏑矢をつがえて、 「為朝が今まで鎮西に居住して、これまでお前らを見知っていなかったのは手抜かりよ。この鏑矢は、為朝が自分で作ったものだ。我が手並みのほどをよく見ろ」
と呼びかけ、真っ先に進んだ景能の腰骨を射切ってみせんとばかり、すこし矢先を下げてねらったが、どうした加減か、馬が退いたので、体勢ととのえようとしたところ、甲に当って思うように弓を引くことが出来ず、その時景能の馬は遠のいてしまったので、仕方なく、しっかり見定めることが出来ないまま、矢を放った。
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景能が馬手めて
の膝節ひざぶし 、片手切りにつつと射切りて、鐙あぶみ
の水緒革みづをがは 加へて、馬の折骨おりほね
五、六枚ざつと射切りて、矢は彼方あなた
へつつと通りて、大地にづはと立つ。鏑かぶら
は此方こなた へこけて、ざつと散る。馬は一働ひとはたら
きも働かず、どうど伏しぬ。景能は、降り立たんとしけれども、膝筋切れにければ、うつぶさまにぞ落ちてける。景親、つつと寄よ
って、肩に引き懸けて出い でにけり。 八郎、馬を立て直さんとしける紛まぎ
れに、これを知らず、 「矢にも中あた
らで逃げぬるぞ」 と心得こころえ
、 「不思議の事かな。この矢の外はづ
れけるよ。日本国に冥加武者を尋ねんに、大庭平太にはよも過ぎじ。為朝、物覚おぼ
えてより以来このかた 、人馬は云い
ふに及ばず、鳥とり 獣けだもの
に至るまで、目を懸か けと懸けたるもの、射い
外はづ したる事、未いま
だ一度もなきものを。この馬の矢の中あた
りやうを見るに、主しゆう はよも死せじ。これ等ら
は、随分ずいぶん 目恥めは
づかしき者どもにてあるものを。人に語らむ事の恥づかしさよ。口惜しき事かな」 とぞつぶやきける。 |
景能の甲の右の膝がしらを、片側さっと射切って、鐙の水緒革もろとも、馬の折骨五、六枚もざっと射切って、矢は向こう側につっと通り抜け、地べたにづはとばかり突きささった。鏑はこちら側へはね返って、ざっと散らばった。馬は少しも動くことなく、どうとばかり倒れ伏した。景能は、馬から下り立とうとしたが、あいにく膝がしらを射られてしまったので、うつぶしざまに落馬した。景親が走り寄って、兄を肩に担いでその場を去った。八郎は馬の体勢を立て直そうとしていたところなのでこれに気付かず、我が放つ矢にも当たらず逃げてしまったと思い込み、
「どうしたことか、矢が外れてしまったようだ。日本国中、神仏の加護を受けた幸運な武士といえば、大庭平太の上を行く者はおるまい。この為朝、物心ついてこのかた、人馬は言うに及ばず、鳥獣にいたるまで、これと目をかけて射はずしたことは一度もないのに。この馬の矢の当たりようから察するに、馬の主は死んではおるまい。それにしても見あげたやつよ。人に語るに恥ずかしいことをしてしまった。無念」
とつぶやいていた。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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