間近
く打ち寄せて、 「この門を固かた
められて候ふは、誰人たれひと
ぞ。かう申すは、下野守しもつけのかみ
源みなもとの 義朝よしとも
、宣旨せんじ を蒙かうふ
りて向ひ候ふはいかに」 。八郎、 「同じ氏うぢ
、鎮西ちんぜい 八郎はちらう
為朝ためとも 、院宣いんぜん
を承うかたまは りて固めて候ふ」
。義朝、 「こはいかに、宣旨に依よ
りて向ひたりと云い はば、急ぎ退しりぞ
き候へかし。争いか でか、勅命ちょくめい
と云ひ、兄に向ひて弓を引くべき。冥加みやうが
の尽つ きんずるは何いか
に」 。八郎、あざ咲わら ひて、
「為朝が兄に向ひて弓を引き、冥加尽き候はば、いかに、殿は、現在の父に向ひて弓をば引かれ候ふぞ。殿は宣旨に随ひて向ひたりと仰せられ候ふ。為朝は院宣を承うけたまは
りて固めて候ふ。院宣と宣旨と、いづれ甲乙かふおつ
か候ふ」 と云い ひ云ひ、見渡して見れば、五段ごたん
ばかり隔へだ てたるらんと思おぼ
ゆるに、馬居むまい ・事柄ことがら
、群くん に抜けて、 「あつぱれ大将軍だいしやうぐん
や」 とぞ見えし。 |
間近く駆け寄って、
「この門を警護するのはだれか。かく申すは、下野守源義朝、宣旨をいただいて参ったぞ、さあどうだ」 と呼びかけた。八郎は、 「同族源氏、鎮西八郎為朝、こちらは院宣を得て警護している」
と答える。義朝、また、 「これはどうしたことか。宣旨を得て向かったと聞けば、急いで退くのが常というべきものを。勅命といい、どうして兄に向かって弓を引くのに道理があるものか」
と挑発する。一方、八郎もまた、冷ややかに笑い、 「為朝が兄に向かって弓を引くので冥加尽きたというのなら、さて、兄よ、あなたは実父に向かって弓を引いているのだぞ。あなたは宣旨に従って攻め寄せたとおっしゃる。しかし、為朝とて、院宣に従って警護していることに変わりはない。院宣と宣旨の勝劣はいかに」
と言いながら見渡したところ、義朝とは五段ほど離れていたが、義朝の馬居、たたずまい、あたりを圧するかと見え、 「さすが大将軍よ」 と見受けられた。 |
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詞ことば
戦たたか ひすとて、立ち透すか
したる内甲うちかぶと 、夜よ
の明あ くるに随ひて、白々しらじら
と見ゆれば、 「あつぱれ、射よげなるものかな。天の授けたまへる上は、ただ一矢ひとや
に射い 落おと
して捨てん」 とて、例の先細さきぼそ
を打う ち番つが
ひ、打ち上げ、引かんとしけるが、 「待てしばし、軍いくさ
も未いま だ半なか
ばなるに、大将軍だいしやうぐん
をただ一矢に射落さん事、無下むげ
に情けなかるべし。なかんづくに、主上しゆしやう
・上皇しやうくわう も御兄弟ににてまします。関白殿くわんぱくどの
と左大臣殿さだいじんどの とまた御兄弟。判官殿はんぐわんどの
と下野殿と、内々ないない 云い
ひ合わせて、 『汝なんじ は内裏だいり
へ参れ。我われ は院いん
へ参らん。主上軍いくさ に勝ちたまはば、汝を頼みて我は参らん。院軍いくさ
に勝たせたまはば、我を頼みて汝は参れ』 と約束などをやしたまひつらん。そも知らず。また、敵かたき
も敵にこそよれ、我が身はいやいやの弟なり。あへなく射落し奉りては、もし後悔する事もや」 とて、矧は
げたる矢をはづす。 |
言葉戦いに邪魔とばかり甲を立てすかしているのが、夜明けになったこととてはっきり見えたので、為朝は、
「ああ、射るに好都合になった。天が助けて下さるからには、ただ一矢で仕留めよう」 とばかり、いつもの先細の矢をつがえて、弓をあげ、構えたが、「しばし待つべきか。戦はまだ半ばなのに、敵の大将をただ一矢で仕留めるなどは、礼を失することになろうか。なかで、主上と上皇も御兄弟、また関白殿と左大臣殿も御兄弟。あるいは判官殿と下野殿はひそかに相談して、
『お前は内裏方へ、自分は院方へ参ろう。もし主上側が勝ったなら、その時はお前を頼りに降参する。もし院側が勝ったなら、自分を頼りにしてお前は降参しろ』 などと約束しているかも知れない。そこまでは知らないことであるが、また敵にもよるというもの、自分は義朝のはるか末弟。それが、簡単に射とめるなどしたからには、後悔することもあろう」
と思い直して、つがえた矢を外した。 |
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また、表矢うはや
の鏑かぶら を矧は
げ替か へて、 「首藤すどう
九郎、これ見よ、家季いえすへ
。中差なかざし にて下野殿しもつけどの
を射落とし奉らんと思へども、旁々かたがた
存ずる旨むね あれば、疵きず
は付け申すまじ。矢風やかぜ ばかりを引かせ奉りて、肝きも
つぶさせ申さん」 とて、拳高こぶしだか
に差し上げて、鏑えびら の上までからりと引ひ
き懸か けて放たれたり。御所中、陣の内、響き渡りて、義朝の甲かぶと
の星七つ八つさつと射い 削けづ
りて、遥はる か後ろなる宝荘厳院ほうしやうごんいん
の門の扉の、厚さ五、六寸ばかりなるが、金物かなもの
ぐくみに、篦中のなか 過ぎてぞ立ちたりける。鏑はざつと割れて落つ。兵つはもの
ども、ばつと騒ぎてあきれたり。 |
そして、表矢の鏑矢につがえ直して、
「首藤九郎よ、これを見よ、家李よ。中差しの矢で下野殿を仕留めようとは思ったが、少々考えたことがあり、下野殿に矢傷を負わせることはやめにした。矢風だけをひびかせて、肝をつぶさせてやろう」
とばかり、拳を高々と差し上げ、鏑の上までからりと音させて引きかけ、放った。御所中、陣営の内を響き渡って、義朝の甲の星七つ八つほどさっと射削って、遥か後ろの宝荘厳院の門の、厚さ五、六寸もある扉を、金物まるごと、矢竹半ばほども突きささった。鏑はざっと砕け散り、兵どもも一瞬肝を冷やした。
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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