鎌田、稀有
の命助かりて、逃げ延の びぬ。京極きやうごく
を上のぼ りに打ち通とほ
りて、下野殿の前に馳は せ来たり、あへづきあへづき申しけるは、
「正清まさきよ 、大事の合戦度々どど
仕つかまつ りて候へども、これ程に馬の駆足かけあし
騒がしき目にこそあひ候はね。この馬をば、日来ひごろ
は無双ぶさう の逸物いつもつ
と存じ候ひつるが、ただ一所いつしよ
に躍る心地ここち してこそ候ひつれ、八郎御曹司、正清に一の矢を射られて、余あま
りの妬ねた さに、答たふ
の矢や をば遊あそば
ばし候はで、 『手捕てどり りにして割さ
いて捨てん。ねぢ切って捨てん』 とて、追ひ懸けさせたまひ候ひつるは、天の雷いかづち
の甲かぶと の上に落お
ち懸か かる心地して、目も眩く
れ、魂たましひ も失う
せ候ふ。馬よりも落つべく候ひつれども、運が強つよ
く候ひてこそ助かりて候へ。あな、?おびたた
しの勢せい や」 とて、息いき
吐つ き居ゐ
たり。 下野守、 「正清が八郎と思ひて、臆おく
してぞさは思おぼ えつらん。八郎におきては、義朝、一ひと
当あ て当あ
てん。何いか ばかりの事かあるべき」
とて、打う ち出い
でけるが、手綱たづな を控へて、
「抑そもそも 、今日十一日、寅剋とらのこく
なり。東は指し当りたる日ひ 塞ふさがり
の方かた なり。その上、朝日に向ひて弓引かん事、便びん
なかるべし。いささか方かた を違たが
ふべし」 とて、京極を下りに、三条まで下さが
りて、河原を東へ打ち渡りて、北殿きたどの
をば北に見なして、東の堤つつみ
を上りに、北を指してぞ向ひける。 |