為朝、あまりのねたさに、答
の矢や を射るに及ばず、矢をばかいなぐつて抛な
げて、弓を脇わき に掻か
い挟はさ んで、 「鎌田め、余あま
すな。手捕てどり の与次よじ
、討手うつて の城八じやうはち
、駆けよや、駆けよや」 とて、馬手めて
の手を指さ し上げて、手捕てどり
にせんと追お つ駆か
けたり。鎌田は、取って返して、鞭鐙むちあぶみ
を合わせて逃げければ、 「己おのれ
は何処いづく までぞ。余あま
すな、漏も らすな、掻か
い掴つか うで引き付けて、頸くび
ねぢ切らむ。八やつ 割さ
きに割いて捨てん」 と、かさにかかりて攻めければ、鎌田、今を最後と、鞍くら
の前輪まえわ にをぜみかかりて、
「馬の気き あらむ限りは」 と、東の河原を真下まつくだ
りに、捨鞭すてむち を打ちてぞ逃げてける。為朝が二十八騎、鎌田が三十余騎、逃にぐ
るも追ふも、ここを限りと、もみにもうで攻めければ、馬の足音は、大山だいさん
頽くづ れかかる如くなり。為朝が怒いか
れる声は、また雷いかづち の鳴り落つるにも異ならず。三丁ばかり追ひたりけれども、ただ延の
びに延びければ、 「妬ねた けれども、これに限るまじ。判官殿はんぐわんどの
は、老体らうたい にて、合戦も思ふ様やう
にしたまはじ。兄の殿原とのばら
は、口こそ利き きたまふとも、はかばかしき事よもあらじ
。長なが 追お
ひして、判官殿に推お し隔へだ
てられて、span>悪あ しかりなん」 と、おぼつかなく思おぼ
えて、取って返す。鎌田は、河原を西へ直すぐ
に逃ぐべかりけれども、 「八郎殿を下野殿の陣じん
の内へ引き入れん事、悪あ しかりなん」
と思ひければ、あらぬ方かた へ逃げけるをば、
「思慮ありける者かな」 と、敵てき
も御方みかた も感じあへり。 |