〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/23 (水) 白 河 殿 攻 め 落 と す 事 (二)

為朝、あまりのねたさに、たふ を射るに及ばず、矢をばかいなぐつて げて、弓をわきはさ んで、 「鎌田め、あま すな。手捕てどり与次よじ討手うつて城八じやうはち 、駆けよや、駆けよや」 とて、馬手めて の手を し上げて、手捕てどり にせんと けたり。鎌田は、取って返して、鞭鐙むちあぶみ を合わせて逃げければ、 「おのれ何処いづく までぞ。あま すな、 らすな、つか うで引き付けて、くび ねぢ切らむ。やつ きに割いて捨てん」 と、かさにかかりて攻めければ、鎌田、今を最後と、くら前輪まえわ にをぜみかかりて、 「馬の あらむ限りは」 と、東の河原を真下まつくだ りに、捨鞭すてむち を打ちてぞ逃げてける。為朝が二十八騎、鎌田が三十余騎、にぐ るも追ふも、ここを限りと、もみにもうで攻めければ、馬の足音は、大山だいさん くづ れかかる如くなり。為朝がいか れる声は、またいかづち の鳴り落つるにも異ならず。三丁ばかり追ひたりけれども、ただ びに延びければ、 「ねた けれども、これに限るまじ。判官殿はんぐわんどの は、老体らうたい にて、合戦も思ふやう にしたまはじ。兄の殿原とのばら は、口こそ きたまふとも、はかばかしき事よもあらじ 。なが ひして、判官殿にへだ てられて、span> しかりなん」 と、おぼつかなくおぼ えて、取って返す。鎌田は、河原を西へすぐ に逃ぐべかりけれども、 「八郎殿を下野殿のじん の内へ引き入れん事、 しかりなん」 と思ひければ、あらぬかた へ逃げけるをば、 「思慮ありける者かな」 と、てき御方みかた も感じあへり。

為朝は予期せぬことだけにしゃくにさわり、答えの矢を射るゆとりもなく、当たった矢をかなぐり捨てて、弓を脇に挟み、 「鎌田め、逃がすな。手捕の与次、討手の城八、追いかけろ」 とばかり、右の指で指しながら、生け捕りにしようと追いかけた。鎌田は引き返し、鞭鐙を合わせて脱げまわったが、為朝は、 「どこまで逃げる気か。逃がすな、逃がすな。つかみ取って引き付け、首をねじ切ってやろうか、八つ裂きにしてやろうか」 と勢いに乗って追いかけたので、鎌田はもはやこれまでと観念して、鞍の前輪に伏しかかり、 「馬が逃げおおせるまでは」 と、東の河原を真南に、捨鞭を打って逃げに逃げた。為朝の勢は二十八騎、鎌田の勢は三十騎余り、逃げる者、追う者、ここぞとばかり激しく攻めたので、とどろく馬の足音は、まるで大山の崩れかかる音のようであった。三丁ほど追いかけたが、鎌田も何とか逃げのびた。為朝は、 「残念だが、また討ち取る機会もあろう。判官殿は老体で、合戦も思うに任せない。兄たちもえらそうな口を利いても、たいして合戦の用を果たせない。長追いして判官殿と離れることになってはまずいこと」 と気がかりになり、引き返すことにした。鎌田は、河原を西へ逃げるべきところであったが、 「八郎殿を下野殿の陣営に誘い込むようなことがあってはまずい」 と判断して、全く別の方向へ逃げたことであるが、 「思慮深い者よ」 と、敵も味方もともに感心した。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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