〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/18 (金) 白河殿へ義朝夜討に寄せらるる事 (二)

さる程に、内裏より只今討手うつて の向ふをば、左大臣殿、つゆおぼ らせたまはず、武者所むしゃどころ 近久ちかひさ を召して、 「内裏にはつはもの をこの方へ向けらるるか、また、これよりの兵を待たるるか、急度きつと うかが ひて参れよ」 とて、御うまや の馬を賜はりける。近久、くら を置くに及ばず、ひたと乗りて、まか でぬ。いく程なくて、やがて せ帰る。馬より飛び下り、 「あなおびただし。雲霞うんか の如く官軍くわんぐん 向ひ候ふ」 と、気もつき えへず、申して てざれば、西の河原をとき をどうど作る事、三ヶ度なり。
御所中の兵ども、上を下に返して、あわて騒ぐ。 「あはれ、為朝ためとも はよく申しけるものを」 と、万人申しあへり。八郎も、 「かたき上手うはて を打つと申し候ひつるは、ここにて候ふ」 と落ちあへども、かひ もなし。左大臣殿、 「為朝蔵人くらんど たるべき」 由、おほ せ下さる。為朝、あざ咲ひて、 「もの騒がしき除目ぢもく かな」 とつぶやき、大炊おほひの 御門みかどむか ひけり。
さて、左大臣殿は、内裏から今にも討手が攻め寄せて来る事など念頭になく、武者所近久に、 「内裏方では攻め寄せるつもりか、それともこちらが攻め寄せるのを待ち構えるつもりか、確かめて来るよう」 と命じて、御うまや の馬を与えた。近久は鞍を置くのももどかしく、じか に乗って出発したが、すぐに駆け戻って来た。馬から飛び下り、 「大変な軍勢です。大軍勢で攻め寄せて来ます」 と息つぐ間もなく一気に報告したが、この報告の終わる前に、西の河原でとき の声が三度あがった。御所方の兵士はあわててあちこち逃げ迷う。 「為朝の申し分は正しかったのだなあ」 と人々は言い合った。為朝も、 「敵の意表を突くということは、このことよ」 と言葉を合わせたが、今更どうしようもない。左大臣殿は為朝を蔵人くろうど に任命しようとしたが、為朝はあざ笑い、 「あわただしい除目よ」 とつぶやきながら、大炊御門へ向かった。
判官の子供、われ さき けんとあらそ ひければ、為朝、打ち寄りて、 「何事を御論候ふやらん。合戦のには には、兄弟と差別しやべつ 候ふまじ。ただ器量きりやう により候ふ。真先まつさき けて、見参げんざん に入りたく候へども、さらぬだに、兄をも兄とせず、悪者にくもの といふ沙汰さた の候ふなれば、論じ申しても無益むやく なり。但し、敵のこは く候はん所をば、何度も為朝に任せて御覧ごらん ざうら へ」 とて、引き退しりぞ く。
判官の子供たちそれぞれに、自分こそ先陣と競り合ったが、為朝は近寄り、 「何をもめているのか。合戦に臨んでは、兄、弟の差別などない。戦の才能が問題だ。真っ先駆けてご覧に入れたいところだが、ただでさえ、兄を兄とも思わぬにくまれ者といわれているので、今更論ずるつもりはない。ただ、敵の手強い所を、何度でも為朝に任せられよ」 と言いかけて、退いた。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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