ここに、安芸
守かみ 、大炊御門の西門へ推お
し寄よ せて、 「この門を固かた
めたるは、源氏か、平氏か、かう申すは安芸あきの
守かみ 平たいらの
清盛きよもり 、宣旨せんじ
を承うけたまは りて向ひ候ふ」
と高らかに名乗りければ、取と
り敢あ えへず、 「鎮西ちんぜい
八郎為朝が固めたるぞかし」 。 清盛、小声になりて、「冷すさ
まじき者が固めたる門へ寄よ せ当あた
りぬるものかな」 とて、もってのほかいぶせげにて、進みもやらず。これを見て、伊藤いとう
武者むしゃ 景綱かげつな
、三十騎ばかりを相あひ 具ぐ
して、門近く進み寄りて、 「伊勢いせの
国くにの の住人ぢゆうにん
、古市ふるいちの 伊藤武者景綱、子息しそく
伊藤いとう 五ご
・伊藤いとう 六ろく
、今日の軍いくさ の真先まつさき
なりや」 とぞ?ののし りたる。為朝、前細さきぼそ
打う ち番つが
ひて、 「平氏が郎従らうじゆう
、さしもの者にてはよもあらじ。一矢ひとや
も惜しきものかな」 と云ひければ、首藤すどう
九郎、 「清盛が郎従らうじゆう
には、これ等ら こそ宗むね
との者にて候へ。とう遊ばし候へ」 と申しければ、 「さらば、軍神いくさがみ
に祭りて捨てよや」 とて、しばらく弓たまつて、面おもて
に進みたる伊藤六郎が真中まんなか
に押し当てて、放したり。なじかは違ちが
ふべき、鎧よろひ の引き合はせ、後へつつと射抜きて、並び控へたる伊藤五郎が射向いむけ
の袖そで に裏うら
掻か いてこそ立ちたりけれ。伊藤六、一ひと
たまりもたまらず、どうと落つ。 |
この時、安芸守は、大炊門の西門へ近付き、
「この門を警護するのは源氏か、平氏か。我は安芸守平清盛よ。宣旨をいただいて参った」 と声高らかに名乗ったところ、即座に、 「鎮西八郎為朝は警護」 との返答があった。とたんに清盛は小声になって、「大変な者が警護する門を攻めたものよ」
と言うばかり、怖気付いて、これ以上進み出ようともしない。これを見て、伊藤武者景綱は三十騎ほど引き連れ、門近くまで進んで、 「伊勢国住人、古市伊藤武者景綱、子息伊藤五・伊藤六、今日の戦の先陣よ」
と声をはずませた。為朝は、先細の矢をつがえて、 「平氏の郎従とあれば、たいした者でもあるまい。一矢でも惜しいものよ」 と言ったところ、首藤九郎が、 「清盛の郎従のなかでは、これらが中心人物です。早く射かけられよ」
と申したので、 「軍神の祭りの供物とした後捨てるばかり」 と言いかけるや、しばらく弓を引きしぼったまま、正面に進む伊藤六の真ん中目がけて矢を放った。どうして射損ずることがあろうか、鎧の引合せを後ろへ射抜き、並んで控えていた伊藤五の左の袖をも裏突き抜けて矢が立った。伊藤六はこらえきれずどうとばかり落馬した。 |
|
人手ひとで
に懸か けじとて、伊藤五、馬より飛び下り、首を取る。景綱、これを見て、急いそ
ぎ引ひ き返かへ
して、安芸守の前に来たりて申しけるは、 「あな怖おそろ
しの鎮西八郎殿の弓勢ゆんぜい
や。伊藤六ははや射落され候ひぬ。奴やつ
にも随分ずいぶん 札きね
吉よ き鎧を着せて候ひつるものを。二重ふたへ
を射通すだにも不思議に思おぼ
え候ふに、伊藤五が鎧の袖に裏掻か
いて候ふ。かやうに候はんには、何いか
なる鎧を着てこの門へは向ひ候はんずるぞ。あなおびただし。鎧を二、三両りやう
も重ねて着ざらむ外は、適かな
ふべしとも思おぼ へ候はず。命が有りてこそ、軍いくさ
をもし、剛臆かうおく をも顕はさんめ。あな冷すさ
まじ」 とあさみをる。兵ども、これを聞きて、もの謂い
はず、舌を振りて怖お じ合あ
へり。 |
人手にかけてはならないと、伊藤五が馬より飛び下り、弟の首を切った。景綱はこれを見るや急ぎ引き返し、安芸守の前に来て告げて言うに、
「恐ろしきは鎮西八郎為朝の弓の勢い。伊藤六はもはや射落とされました。ずいぶん札の良い鎧をあてがっていたはずなのに。完全に射抜くことだって考えられないことなのに、伊藤五の鎧の袖の裏まで矢が突き通りました。このようなありさまでは、どんな鎧を着てこの門を攻めたものか、ああ大変なことよ。鎧を二、三領重ね着するよりほかありません。命があってこそ、剛勇なりとも臆病なりとも、ともかく戦えるというもの。ああ恐ろしいことよ」
とあきれかえっていた。兵士たちはこれを聞いて、物言うこともできず恐ろしがった。 |
|
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
リ |