〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/18 (金) 白河殿へ義朝夜討に寄せらるる事 (一)

仙洞せんとう には、 大臣殿だいじんどの 、また為義ためよし され、世間のことのどのどと御談義あり。判官はんぐわん 申しけるは、 「為義、既に老骨らうこつ を振るひて参向さんこう 候ふ上は、所存のむねいか でか一言申さでも候ふべき。仮令けりやう 案じ候ふに、内裏だいり に参り集ふつはもの は、その数候ふといへども、思ふにさこそ候ぬらめ。為義、このせい をもって、などか防がでも候ふべき。かながた くて、この御所を でさせたまひ候はば、南都なんと御幸ごかう をなし奉り、宇治うぢ はし を引きて、しばらく世間を御覧候ふか。なほ かな はず候はば、東国へ御幸をなし奉り、足柄あしがら箱根はこね を打ちふさ ぎて、とう 八箇国はつかこく相伝さうでん家人けにん あい もよほ し、都へ返し入れまい らせ候はん事、案の内に候ふ」 と申しければ、左大臣殿、 「為義がかさ ねての申し状、そのことわり しか るべし。但し、我が君は、これ、天孫てんそんすえ を受けましまして、御裳みも濯川すそがわ の流れかたじけ なくましましき。たと ひ御位を去りたまふといふとも、太上だいじやう 法皇ほふわう の第一の御子、御在位の間、万国おだやかなりき。一宮いちのみや 、また嫡々ちやくちやく の正統にてわたらせまします。しかるを、員外ゐんぐわい四宮しのみや に位を超えられまします事、神慮しんりよ の御誤り、人望じんぼう の遺恨、ただこの事にあり。しかれば、この時いかなる御はからひもなくは、いづれの日をか しましますべき。されば、この御所を退しりぞ きて、他所へ でさせましまさん事、一切いつさい あるべからず。すべからく志を励まし、忠節ちゆうせつぬきん づれば、勲功くんこうきは め、朝恩てうおん に誇るべきなり」 と仰せられけらば、 「さては、善悪ぜんあく 、為義まづ命を捨てて、左右さう あるべきなり」 とて、まか り立つ。まこと にたのもしくぞきこ えける。

仙洞御所では、左大臣殿が再度為義を呼び寄せて、のんびりと話に興じておられた。為義が、 「老骨の自分があえて参上したからには、ぜひ一言申し上げたい。よくよく考えてみるに、内裏に参る兵の数は多かろうとも、それはただ数が多いというだけ、我が軍勢をもってすれば防ぐことはたやすいことです。万一防ぎきれず、この御所を出なければならなくなったら、奈良へお移りいただき、宇治橋の橋板を引いて、しばらく世のなりゆくさまを御覧いただくことにでもしましょうか。これがかなわないとなれば、東国にお出向きいただき、足柄、箱根を封鎖して、東八箇国の先祖代々からの家来を招集して、都へ攻め上ろうと策を考えていることです」 と申した。左大臣殿は、 「先程に重ねての為義の申すこと一々理にかなっている。ただし、新院は皇統正しきを継いでいらっしゃる。今現在、退位されているとはいっても、鳥羽法皇の第一皇子で、ご在位の間は平穏に治まっていた。一の宮とて、嫡々の正統でいらっしゃる。それが思いも寄らぬ四の宮に皇位を奪われたなど神慮の失策、人民の恨むところ。今、この時、決起しなければ、再び好機めぐってくることはあるまい。だから、この御所を払って、よそへお移りになることなどあってはならない。ここはひとつ勇気を奮って忠勤に励み、大いなる働きをしてお褒めにあずかるがよい」 とお命じになったので、為義は、 「この命捨てても戦い抜く覚悟です」 と言うや、さっと席を立った。まことにたのもしいかぎりである。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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