〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/09 (水) 常盤の都落ちと六波羅出頭の事

清盛は池殿の申し入れに負けて頼朝は助けたが、 「常盤ときわ 腹の義朝の子三人は、眼の前でみな斬ってしまえ」 と命じた。これを伝え聞いた常盤は、三人の子を連れて清水寺に詣り、そのまま通夜して祈念を込めたうえで、泣く泣く大和国やまとのくに (奈良県) をさして落ちて行くのであった。
ころは二月の十日、雪はひまなく降ってきびしい寒さの中を、今若いまわか を先立て乙若おとわか の手を引き、牛若うしわか をふところに抱いて、ようやく伏見 (京都市伏見区) に住む叔母の家までたどり着いたが、平家を恐れた叔母は、不在と伝え会おうとしない。
常盤は泣く泣くそこを出て、再び雪の中をさ迷ったが、やがてある民家に立ち寄り、見も知らぬ女房の情けに頼って宿を借り、とかくして大和国やまとのくに 宇多郡うだのこおり 竜門りゅうもん (奈良県吉野郡吉野町)牧岸岡まみきしおか という所に住む伯父を尋ねて、しばらくはこの地にしのんでいた。
都では常盤の行方を尋ね、母親を捕らえて、 「命の続くかぎり問いつめよ」 と、きびしい訊問を続けたところ、これを伝え聞いた常盤は、母の命乞いのために、子供を引き連れて六波羅に出頭した。
常盤が六波羅へ召し出されると聞いた人びとは、平家の一門からはじめて侍にいたるまで、美人の聞こえ高い常盤を一目でも見ようとして、みな六波羅へ集まるのであった。時に常盤は二十三歳、九条女院にょういん が立后の折、千人の美女から十人を選び抜かれた中の一人である。清盛は常盤を一目見るなり心を動かして、処刑も思いとどまったが、やがて常盤の宿所に恋文を遣わし、 「従えば三人の子を助けてやろう」 といいやったので、常盤はついに夫の敵、清盛になびいてしまう。こうして三人の子の命が助かったのも、清水寺の観音の御利ごり 御益やく と申しながら、また常盤が日本一の美人であったからでもある。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
Next