清盛は池殿の申し入れに負けて頼朝は助けたが、
「常盤 腹の義朝の子三人は、眼の前でみな斬ってしまえ」
と命じた。これを伝え聞いた常盤は、三人の子を連れて清水寺に詣り、そのまま通夜して祈念を込めたうえで、泣く泣く大和国
(奈良県) をさして落ちて行くのであった。 ころは二月の十日、雪はひまなく降ってきびしい寒さの中を、今若
を先立て乙若 の手を引き、牛若
をふところに抱いて、ようやく伏見 (京都市伏見区) に住む叔母の家までたどり着いたが、平家を恐れた叔母は、不在と伝え会おうとしない。 常盤は泣く泣くそこを出て、再び雪の中をさ迷ったが、やがてある民家に立ち寄り、見も知らぬ女房の情けに頼って宿を借り、とかくして大和国
宇多郡 竜門
(奈良県吉野郡吉野町) の牧岸岡
という所に住む伯父を尋ねて、しばらくはこの地にしのんでいた。 都では常盤の行方を尋ね、母親を捕らえて、 「命の続くかぎり問いつめよ」 と、きびしい訊問を続けたところ、これを伝え聞いた常盤は、母の命乞いのために、子供を引き連れて六波羅に出頭した。 常盤が六波羅へ召し出されると聞いた人びとは、平家の一門からはじめて侍にいたるまで、美人の聞こえ高い常盤を一目でも見ようとして、みな六波羅へ集まるのであった。時に常盤は二十三歳、九条女院
が立后の折、千人の美女から十人を選び抜かれた中の一人である。清盛は常盤を一目見るなり心を動かして、処刑も思いとどまったが、やがて常盤の宿所に恋文を遣わし、
「従えば三人の子を助けてやろう」 といいやったので、常盤はついに夫の敵、清盛になびいてしまう。こうして三人の子の命が助かったのも、清水寺の観音の御利
御益 と申しながら、また常盤が日本一の美人であったからでもある。 |