頼朝は奥波賀に隠れていたが、ついに平家の弥平
兵衛 宗清
に捕らえられる。頼朝が捕らえられると、妹の夜叉
御前 は、 「私も義朝の子、頼朝さまと一緒に斬ってくれ」
と、泣き伏したので、武士たちもあわれに思った。やがて頼朝は彼を捕らえた宗清に預け置かれた。夜叉御前は、その後は水も飲まず嘆き続けたが、二月一日の夜、ただ一人奥波賀の宿駅を出て、はるかな杭瀬
河 に身を投げてしまう。まだ十一歳の幼い身であった。 頼朝の噂を聞いた清盛の継母池
禅尼 は、いまは亡きわが子の右
馬助 家盛
に似ている、というので情けをかけ、清盛に嘆いて死罪を免じてやった。こうして頼朝は、ついに遠流にとどめられるこtになったのである。 |