さて、頼朝は雪の中に捨て置かれて迷い歩くうちに、小平 (滋賀県栗太郡栗東町小平井か)
という山里に出た。夜明け方、ある小屋の軒の下から立ち寄ると、 「この山に落人がいるらしい。捕らえて平家の御褒美にありつこう」 という声がする。頼朝は、これを聞いてひそかに立ち去り、谷川のほとりの石に腰かけて自殺を思っているところに、里人の鵜飼がこれを見て、 「左馬頭殿の御子息でいらっしゃいましょう。平家がお跡をつけております。こっそり身をお隠しなさいませ」
と親切に言うので名乗りを上げると、自分の家に案内してもてなすのであった。やがて鵜飼は頼朝を女装させ、馬に乗せて小関を過ぎ、奥
波賀 まで送り届けてくれたのである。 一方、義朝は鎌田に、
「東海道ほどの宿駅も平家が見張りを付けているという。ここから尾張
国 内海
(愛知県知多郡南知多町内海) へ行きたいものだ」 というので、大炊の弟、鷲
の栖 の玄光という、元は山法師のたくましい男を頼むと、玄光は一行を小舟に乗せ、上に柴を置いて監視を欺き、海から内海まで送り届けてくれた。 内海には鎌田の舅
にあたり、源氏にとっては代々の家来である長田
忠到 がいて一行をもてなしたので、義朝は、ここで年を送り新年を迎えることになった。ところが、長田は息子の景到
と相談し、義朝を討ち取って平家の恩賞にあずかろうとする。正月の三日になると、長田は鎌田に酒を飲ませ義朝に行水を勧めた。そうして、義朝が裸になって入湯しているところを、いきなり大力の家来に討ってかからせ、たちまち斬り殺してしまった。驚いた鎌田が走り出そうとするのも景到が斬り仆したので、人びとは、
「出世のためには、家代々の御主人も自分の婿も斬ってしまう長田親子は、何という無法な奴らだろう。義朝は保元の乱で父の首を斬ったが、平治の今、長田の手にかかり討たれてしまった。長田の将来もどうなることか、恐ろしいことだ」
と噂するのであった。 |