義朝の軍勢が六波羅へ押し寄せて、鬨の声をわっと上げると、驚きあわてた清盛は、甲
を取って逆様 につけたので、侍たちが、
「御甲が逆様で」 というと、 「君がうしろにましますので畏れ多いによって、逆様につけたのだ」 と弁解したが、重盛は、 「何と仰せられようと、臆してみえられますぞ」
と言い置いて、五百余騎を率いて駆け出し、防戦につとめるのであった。 悪源太は六波羅へ寄せても、門の中へ入れなかったのを口惜しがって、再び五十騎でおめいて駆け、六波羅の門へ飛び込むと、
「清盛を討たさせ給え」 と祈念して、殿中に矢を射込んだが、その矢は清盛の左肩すれすれに飛んで、後ろの柱に突き立った。清盛は 「かいがいしく防ぐ者もいないので、ここまで敵が来たのだ。もはや清盛が出陣するぞ」
と、黒糸縅 の鎧、黒塗りの太刀、黒い馬に黒い鞍という黒ずくめの出立
ちで駆け出した。 こうして源平入り乱れての合戦が始まるが、源氏の兵は朝からの疲れ武者、平家は新手
である。さすがの悪源太も、 「馬にひと息つかせよ」 と門から引いて、賀茂河原から西へ退いてしまった。これを見た義朝は、 「義平の退却は源氏の恥辱だ。義朝はここで討ち死する」
と駆け出そうとするが、鎌田が馬の口にとりついて押しとどめ、源氏はついに北へ向かって落ちのびて行くのであった。 |