天皇も六波羅へ行幸になった。人目をしのび女房姿になって御車に召されたが、義朝の家来たちが怪しんで、弓の先で御車の簾をかき上げ、松明
を振り入れて覗き見たりした。ところが二条天皇は十七歳、御鬘
を召し女房の着物を重ね着され、中宮もお側においでになる。美しい女房たちばかりなので、東夷
には見分けがつかず、無事にお通ししてしまった。やがて御車は飛ぶように走って、重盛以下の守護に導かれながら六波羅へお入りになった。 平家の一族は大喜びで、
「六波羅が皇居になったぞ。お上に志のある者は皆々参れ」 と披露したので、忠通
卿 を始とする関白・太政大臣以下、公卿殿上人も武士たちも皆、六波羅へと馳せ参じた。 |