〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/08 (火) 源 氏 、 勢 揃 え の 事

信頼卿はこのことを夢にも知らず、例によって女房どもを呼び寄せ、 「ここをさすれ、あそこをたたけ」 などと身体からだ をもませながら寝込んでいた。
二十七日早朝、中将成親なりちか が参って、 「天皇は六波羅へ行幸、上皇は仁和寺へ御幸と承りますが、いかがです」 という。信頼は 「そんなはずはない。経宗つねむね惟方これかた らに申しふくめておいた」 といえば、成親は、 「これも、その経宗つねむね惟方これかた らの計らいという事でございます」 というので、信頼は跳び起きて殿中を走り回ってみたが、天皇も上皇もおいでにならない。 「どうしたことだ。きゃつらにだまされた」 と、踊り上がって怒ったが、太りきった大男なので、板敷が鳴りひびくばかりで、踊り出したものは何一つなかった。 「このことは、だれにも披露されるな」 といってみても、まったくあと の祭りであった。
一方、悪源太義平は賀茂神社へ詣っていたが、これを聞いて走り帰り、義朝に、 「行幸は六波羅へ、御幸は仁和寺へと承りますが、何とお聞きになりましたか」 というので、義朝も、 「そうは聞いたが信頼はかくしている。こうなったからといって、源氏のならわしだ。心変わりすることがあってはならぬ」 と、内裏にいる軍勢を点検したが、義朝を中心とする源氏の武将をはじめとして、主だった武士二百人、二千余騎の軍勢がいることを確かめた。
左馬頭義朝はそのとき三十七歳、黒糸縅くろいとおどし の鎧に銀で飾った太刀をはき、黒い鞍を置いた黒鴾毛くろつきげ の馬を引き立てさせている。悪源太は十九歳、源氏伝来の八竜はちりゅう という鎧をつけ、はやりきった鹿毛かげ の馬に鏡鞍を置き、義朝の馬と並べて立たせている。十三歳の頼朝も、重代じゅうだい の鎧、源太げんた産衣うぶぎぬ をつけ、八幡太郎義家伝来の名刀、鬚切ひげきり をはき、兄たちを見まわして、 「平家に先手を取られる前に、こっちから先ず攻め寄せたいものだ」 といっていたが、その姿は、十三歳とは思われぬほど大人びて見えた。
ころは平治元年十二月二十七日たつ の刻 (御前八時ごろ) 、昨日の雪が消え残り、庭上には朝日がさして物具ものぐ金物かなもの に輝きあい、まことに美々しい出陣の景であった。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ