清盛は一千余騎の軍勢を率いて、二十六日に夜半、事なく六波羅に着いた。二十六日の夜になって、右少弁
成頼 が一品
御書所 に参り、
「陛下の行幸は六波羅へと承ります。上皇さまは何処へ御幸なされましょうか」 とお尋ねすると、 「仁和寺へ」 と仰せになった。さて御所から脱出されるとき、北面の武士の平
泰頼 という声色
の名人を院の御寝所に留め置かれた。そこで泰頼は、しきりに院の声色を使っていたが、上皇がはるかの落ちのびささられたところを見はからって、御寝所を三度拝んで退出した。そのときにはもう、院は仁和寺にお着きになっていた。 |