〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/07 (月) 光 頼 卿 、 参 内 の 事

同十二月十九日、内裏では公卿たちの評議が催された。左衛さえ 門督もんのかみ 藤原ふじわらの 光頼卿みつよりきょう は、近ごろ信頼の態度があまりにも潜越せんえつ であるといって、会議の席にも出て来なかったが、このたびは参内して承ろうと、乳母めのと 右馬允うまのじょう 範能のりよし を引き連れ、 「万一の事があったならば、一手にかけずお前の手で首をとれ」 と命じ、兵たちの厳しく警護しているところを、ものともせずに、声高く先払いさせてお入りになったので、兵たちも恐れて、弓を伏せてお通し申しあげた。
殿上では信頼が上座を占めて、その他の公卿たちが居流れている。光頼は左大弁の宰相さいしょう 長方ながかた に、 「今日の御座席の次第は乱雑なことで」 と挨拶して、 「信頼は右衛うえ 門督もんのかみ 、自分は左衛さえ 門督もんのかみ である。人はどうあろうとも、彼の下座に着くまいものを」 と思われたので、信頼の座上にどっかと着かれた。光頼卿は信頼の母方の伯父でもあり、大力の人であったから、信頼卿もひどくおそれ、伏目になって顔色を変えてしまった。
光頼卿はしゃく を取りなおして改まった調子で、「公卿の会議と承って参りましたが、何の評議でどざいましょうか」 とおっしゃるが、だれも一言も出さない。光頼卿は、 「参上して悪かったようだ」 と、さっさと出て行かれたが、これに対しても何という人もいない。これを見ていた兵たちがいうには、 「光頼卿は、よくぞおやりになった。去る十日以来、信頼卿のかみ に着座された方は一人もなかったのに、すばらしいお方だ。このお方を大将にいだいたら、どんなによかろう」 といい、また 「むかし頼光らいこう頼信らいしん という、すばらしい源氏の将軍があったが、その頼光という名をうち返して、光頼と名乗られたので、これほど剛勇でいらっしゃるのだ」 といえば、 「それではなぜ、頼信をうち返して信頼と名乗った人が、あれほど臆病なのだろう」 と、いう者もあったということである。
さて光頼卿は、 「弟の別当べっとう 惟方これかた を呼んで、 「公卿の会議が催され、参上しない者は死罪と承ったが、別のこともなかった。そなたは検非違使の別当という特別重要な職にありながら、信頼の車の尻に乗って、信西の首実検をしたりしたのは口惜しい事だ。今後は、君のために間違いのないようにはからうがよい。清盛は熊野から引き返して、今日明日のうちに都へ入ると聞いている。大軍が押し寄せて来るのは、もうすぐのことだ。ところで、 「主上は何処いずこ におわしますか」 と聞くと、惟方は、 「黒戸くろど の御所に」、 と答えた。 「上皇は何処に」 「一品いつぽん 御書所ごしょどころ に」、 「神璽しんじ 宝剣ほうけん は何処に」 「夜の御殿おとど に」 「内侍所ないしどころ は」 「温明殿うんめいでん に」 、 「中宮は何処に」 「清涼殿せうりょうでん に」、「さらば櫛形くしがた の窓に人の姿がして、天皇の御食事所に人声がするのはだれか」 「御食事所には信頼が住んでおりますので、女房たちの声でござりましょう」 と申されたところ、光頼卿は涙を流し、 「何という情けない世に生まれあわせたことだろう。昔の賢人にならって、けがれた耳を洗いたいくらいだ」 とおっしゃって、上衣の袖をしぼるほどお泣きになり、いまいましそうに出て行かれたので、惟方は、だれかが聞いていなかっただろうかと恐ろしくなってきた。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
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