さて十二月十日には平家の六波羅邸から早馬が立って、熊野詣の清盛一行に追いついた。 「何事か」 と清盛が尋ねると、
「去る九日の夜、三条殿に夜討があり、御所は焼き討ちされ、信西の宿所も同じく焼き払われました。これは信頼殿が義朝を語らって、平家を討ち奉ろうとしてのことと承ります」
と申したので、清盛は熊野詣をどうしようかと迷うが、重盛が、 「熊野参詣も平家の安泰を祈願のため、敵を後ろに置きながらの御参詣はいかがかと思われます」 というところに、筑後守
家貞 が長櫃
を五十個も担がせて出て来た。そうして中から鎧
五十着、矢を盛った箙
五十個を取り出して清盛に奉った。大きな竹の節
を突き抜き、中に弓まで入れて事に備えていたのには感嘆しない者はなかった。 ところが、悪源太
義平 が阿倍野に待ち受けているというので、清盛は、
「それではこれから四国に渡り、軍勢を整えてから都に入ろう」 というのを、重盛は、 「平家追討の院宣が下ったならば、これに叛く者は一人もいなくなるでしょう。すぐさま阿倍野へ向かって進撃すべきです」
と進言したので、清盛も、 「さらば馬を走らせよ、者ども」 と命じ、都をさして引き帰した。 |