〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/07 (月) 信 西 の 南 都 落 ち と そ の 最 後

信西は、もともと藤原ふじわらの 武智むち 麿まろ の家系を けて生まれたのだが、長門守ながとのかみ 高階たかしなの 経俊つねとし の養子となった。儒官にも太政官僚にもならず、日向守ひゅうがのかみ 通憲みちのり として、何くれとなく召し使われたが、あるとき御前へ参上するために、びん をかこうとして水に写った面相を見て、剣難のあることを知って以来、出家の志があり、少納言のお許しを得て少納言入道と呼ばれるようになった。子息たちは中将・少将にまで出世し、人もうらやむところであったが、今や明日の命さえ測られぬ運命となっていたのである。
同九日のうま の刻 (午前十二時ごろ) 、信西は白い虹が太陽を貫くという、天下兵乱の予兆を知って御所へ参ったが、たまたま御遊の最中であったので宿所に帰り、妻の紀伊きい 二位にこの事を語ると、急に奈良の方へ落ちて行き、伊賀いが (三重県北西部)山城やましろ (京都府東南部) との国境にある田原という所へ入った。やがて都から三条殿夜討のことが伝えられると、信西は自分の予感があたったことを知ったので、地中深く穴を掘らせて、その中に入り、大きな竹筒を口に当てて埋もれてしまった。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
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