〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/07 (月) 悪 源 太 義 平 の 上 洛

明けて十日には公卿の評議が催され、これによって信西の子息たちが尋ね出され、清盛の婿になっていた中将成憲なりのり 以下が捕らえられた。また任官式が行われて、信頼は望みどおり大臣・大将を兼ね、義朝は播磨国はりまのくに を賜って播磨はりまの 左馬頭さまのかみ となった。
義朝の嫡子、悪源太あくげんた 義平よしひら は、都に騒動ありと聞いて、馬に鞭打って馳せ上ってきたところ、ちょうどこの任官式に間に合った。信頼は喜んで、 「義平が、この場に参り会うのは幸いである。大国か上国か、望みに任せよう。官職・位階も昇進させよう。合戦を立派にやり遂げてくれ」 というので、義平は、 「保元の乱の最中、伯父の八郎為朝を、宇治左大臣が蔵人にされようとしたとき、あわただしい任官よ、と申して辞退したのも道理である。任官より軍勢を賜りたい。阿倍野 (大阪市住吉区) まで駆け向かって、熊野から帰って来る清盛を取り囲んで首を刎ね、信西を滅ぼした上で、大国も上国も思うさま戴こうものを。それまで義平は、もとのままの悪源太と呼ばれたいものだ」 と言い切った。
信頼は、 「粗暴なことを言う。阿倍野まで馳せ向かって、馬の足を疲れさすまでもない。都へ入れて中に取り込めて討とうに、何ほどのことがあろうぞ」 と、義平の意見を退けてしまったが、これこそ信頼の運の尽きであった。
太政大臣伊通公これみちこう は、そのころ左大将であったが、 「内裏では、何の戦功もない武家に、官位を昇進させられたというが、人を殺しただけで官職を与えられるのなら、多くの人をはめ殺した三条殿の井戸は、なぜ官職につけられないのか」 と笑ったということである。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
Next