左大臣、 「この条
荒儀あらぎ なり。憶持おくぢ
なし。若気わかげ の致す所か。夜討などといふ事は、十騎廿騎の私わたくし
軍いくさ にとりての事なり。さすがに主上・上皇の国諍くにあらそ
ひに、夜討然しか るべからず。就中なかんづく
、今度の合戦には、源平両家りやうけく
の外ほか 、名を得たる兵つはもの
、数を尽つく して両方に引き分かる。しかるあひだ、各々おのおの
、故実こしつ を存じ、互ひに思慮を廻めぐ
らすべし。用意ようい 愚おろ
かにしては甚はなは だ適かな
ふべからず。 およそ合戦といふは、籌はかりごと
をもって本ほん とし、勢せい
をもって先せん とす。然しか
るに、今、院中に召し置く所の軍兵ぐんぴやう
、もつて幾いくばく ならず。率爾そつじ
に発向はつかう せん事、然るべしとも思おぼ
えず。その上、南都なんと の衆徒しゆと
、信実しんじつ ・玄実げんじつ
以下、芳野よしの ・十津とつ
川かわ の指矢さしや
三丁・遠矢とほや 八丁の者ども、既に千余騎にて、今夜、富家ふけ
殿どの の見参げんざん
に入い る。明日、卯う
辰たつ の時に、この御所へ参るべし。然しか
らば、かの輩ともがら を相あひ
具ぐ して、閑しづ
かに行き向ひて、合戦あるべし。物もの
騒さわが しき事は必ず後悔こうくわい
あるべし。また、明日、院司ゐんじ
・公卿くぎやう ・殿上人てんじやうびと
を催して、且かつう は政まつりごと
を行はるべし。もし不参ふさん
の輩においては、速やかに召し取りて、死罪に行はるべし。首を刎は
ねる事両三人に及ばば、などか参さん
ぜらむ。夜の程、よくよくこの御所を守護して、南都の衆徒しゆと
を相あひ 待ま
つべし」 と仰せられければ、為朝、承り敢あ
へず、罷まか り出い
でけるが、 「信実・玄実を待たん事、勢せい
を調ととの へて御覧ぜんためか。勝負決せんには、時剋相あひ
延の ぶべし。義朝は、さしも合戦に心得たるものにてあるものを。それも人に上手うはて
を打たるるとは、よも思はじ。夜討ようち
にせんとぞはからふらん。明日までも延べばこそ、指矢さしや
三丁も大切ならめ。いさかひ過ぎて後のちぎり木にてぞあらむずらん。哀れ、節会さちえ
・官奏くわんそう ・除目ぢもく
などの公事くじ 奉行ぶぎやう
には似ぬものを。合戦の籌はかりごと
をば、ただ為朝に任せて御覧ぜよかし。口惜くちを
しきかな。ただ今敵かたき に襲はれて、御方の兵つはもの
あわて迷はん事よ」 と高らかに罵ののし
り罵ののし り罷まか
り出い づ。 |
左大臣殿は、ただもう驚くばかり、
「この言い分は乱暴至極、分別というものがない。若気のなせるわざか。夜討などということは、十騎二十騎ほどの私的な争いにあっての仕掛けであろう。主上と上皇との国争いほどの戦いに、夜討などふさわしからぬもの。なかでも、今度の合戦に際しては、源平両家といわず、その他武名とどろいた武士どもも、多く両方の陣営に引き裂かれてしまった。ともに戦の故実を知り尽くし、秘術のかぎりを思いめぐらしているに違いない。充分な謀はかりごと
をめぐらさずして勝てるわけがない。総じて合戦というもの戦略第一にして、軍勢を考えねばならない。ところが、今院中にひかえている軍勢は少なく、それで早々に夜討をかけたところで勝算ありとも覚えぬ。そのうえ、奈良の衆徒、信実・玄実以下、芳野・十津川の指弓三丁・遠矢八丁の者ども、今夜、富家のもとに到着の由、明日、卯辰刻にはこの御所に参ることだろう。そこで、これら多勢の軍兵を率いて、ゆうゆうと出発、合戦するがいい。あわただしく事を運んでは必ず後悔することになる。また、明日、院司・公卿・殿上人を招集して、ともかく政務にあたらせよう。もし不参加の者があったらさっさと搦からめ
め取り、死刑に処するだけのこと、二、三人首を刎ねたら、恐れて皆参上することは間違いない。夜の間、よくよくこの御所を守護して、応援の奈良の衆徒の到着を待つがいい」
と、おっしゃったが為朝は承服しかねて、退出するに際し、 「信実や玄実の到着を待つとは軍勢をととのえたからの合戦ということか。勝負を決するには時間がもったいない。義朝は合戦によく通じている者よ。人に先を越されるなど許すわかがばい。必ずや夜討をしかけてくるにきまっている。合戦を明日まで延ばせるものなら、指矢三丁の加勢を待つのもよかろう。これでは、諍いさか
い過ぎてのちぎり木のことわざ通りになってしまうだろう。節会や官奏、除目などの公事奉行とはわけが違うのがわからないのか。いかに戦うかはこの為 朝に任せておけばいいものを。残念なことよ。たった今にも敵が襲い来て、味方の軍兵どもはあわてて逃げまどうことになろう」
と声高に言い放って、無念そうに退出した。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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