〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (上)

2012/05/15 (火) 新院御所各門々固めの事 付けたり 軍評定の事 (四)

左大臣、 「このでう 荒儀あらぎ なり。憶持おくぢ なし。若気わかげ の致す所か。夜討などといふ事は、十騎廿騎のわたくし いくさ にとりての事なり。さすがに主上・上皇の国諍くにあらそ ひに、夜討しか るべからず。就中なかんづく 、今度の合戦には、源平両家りやうけくほか 、名を得たるつはもの 、数をつく して両方に引き分かる。しかるあひだ、各々おのおの故実こしつ を存じ、互ひに思慮をめぐ らすべし。用意ようい おろ かにしてははなはかな ふべからず。
およそ合戦といふは、はかりごと をもってほん とし、せい をもってせん とす。しか るに、今、院中に召し置く所の軍兵ぐんぴやう 、もつていくばく ならず。率爾そつじ発向はつかう せん事、然るべしともおぼ えず。その上、南都なんと衆徒しゆと信実しんじつ玄実げんじつ 以下、芳野よしの十津とつ かわ指矢さしや 三丁・遠矢とほや 八丁の者ども、既に千余騎にて、今夜、富家ふけ 殿どの見参げんざん る。明日、 たつ の時に、この御所へ参るべし。しか らば、かのともがらあひ して、しづ かに行き向ひて、合戦あるべし。もの さわが しき事は必ず後悔こうくわい あるべし。また、明日、院司ゐんじ公卿くぎやう殿上人てんじやうびと を催して、かつうまつりごと を行はるべし。もし不参ふさん の輩においては、速やかに召し取りて、死罪に行はるべし。首を ねる事両三人に及ばば、などかさん ぜらむ。夜の程、よくよくこの御所を守護して、南都の衆徒しゆとあひ つべし」 と仰せられければ、為朝、承り へず、まか でけるが、 「信実・玄実を待たん事、せい調ととの へて御覧ぜんためか。勝負決せんには、時剋あひ ぶべし。義朝は、さしも合戦に心得たるものにてあるものを。それも人に上手うはて を打たるるとは、よも思はじ。夜討ようち にせんとぞはからふらん。明日までも延べばこそ、指矢さしや 三丁も大切ならめ。いさかひ過ぎて後のちぎり木にてぞあらむずらん。哀れ、節会さちえ官奏くわんそう除目ぢもく などの公事くじ 奉行ぶぎやう には似ぬものを。合戦のはかりごと をば、ただ為朝に任せて御覧ぜよかし。口惜くちを しきかな。ただ今かたき に襲はれて、御方のつはもの あわて迷はん事よ」 と高らかにののしののしまか づ。
左大臣殿は、ただもう驚くばかり、 「この言い分は乱暴至極、分別というものがない。若気のなせるわざか。夜討などということは、十騎二十騎ほどの私的な争いにあっての仕掛けであろう。主上と上皇との国争いほどの戦いに、夜討などふさわしからぬもの。なかでも、今度の合戦に際しては、源平両家といわず、その他武名とどろいた武士どもも、多く両方の陣営に引き裂かれてしまった。ともに戦の故実を知り尽くし、秘術のかぎりを思いめぐらしているに違いない。充分なはかりごと をめぐらさずして勝てるわけがない。総じて合戦というもの戦略第一にして、軍勢を考えねばならない。ところが、今院中にひかえている軍勢は少なく、それで早々に夜討をかけたところで勝算ありとも覚えぬ。そのうえ、奈良の衆徒、信実・玄実以下、芳野・十津川の指弓三丁・遠矢八丁の者ども、今夜、富家のもとに到着の由、明日、卯辰刻にはこの御所に参ることだろう。そこで、これら多勢の軍兵を率いて、ゆうゆうと出発、合戦するがいい。あわただしく事を運んでは必ず後悔することになる。また、明日、院司・公卿・殿上人を招集して、ともかく政務にあたらせよう。もし不参加の者があったらさっさとからめ め取り、死刑に処するだけのこと、二、三人首を刎ねたら、恐れて皆参上することは間違いない。夜の間、よくよくこの御所を守護して、応援の奈良の衆徒の到着を待つがいい」 と、おっしゃったが為朝は承服しかねて、退出するに際し、 「信実や玄実の到着を待つとは軍勢をととのえたからの合戦ということか。勝負を決するには時間がもったいない。義朝は合戦によく通じている者よ。人に先を越されるなど許すわかがばい。必ずや夜討をしかけてくるにきまっている。合戦を明日まで延ばせるものなら、指矢三丁の加勢を待つのもよかろう。これでは、いさか い過ぎてのちぎり木のことわざ通りになってしまうだろう。節会や官奏、除目などの公事奉行とはわけが違うのがわからないのか。いかに戦うかはこの為 朝に任せておけばいいものを。残念なことよ。たった今にも敵が襲い来て、味方の軍兵どもはあわてて逃げまどうことになろう」 と声高に言い放って、無念そうに退出した。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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