〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (上)

2012/05/15 (火) 新院御所各門々固めの事 付けたり 軍評定の事 (五)

この為朝、数輩すはい の兄をさしお きて、父、これをきよ し申ししかば、別しておほ せを蒙る事、まこと武勇ぶよう の道抜群ばつぐん によってなり。
およそ、この為朝、幼少より、もってのほかの荒者あらもの にて、兄どもをも事とせず、我一人いちにん 世にあらむとしけるあひだ、判官、あつか ひて、 「きやつ を都に置きては、一定いちぢやう 僻事ひがごと だしてんず」 とて、鎮西ちんぜい へ追ひ下す。十三のとし より、豊後国ぶんごのくに居住きよぢゆう して、阿蘇あそ 平四郎へいしらう 忠景ただかげむこ になりて、九国をなび けんとするに、たれ かは左右さう なく従ふべき。菊池きくち原田はらだ を始として、所々に城郭じやうくわく を構へ、国々に引きこも る。ここに為朝、生まれ付きたる事にや、じやう を落とし、敵を へたぐる事、世に超え、人にすぐ れたりけるあひだ、ここかしこに し寄せ推し寄せ攻めけるに、三年が間に、残るところなくうちしたが へて、かみ よりもたまは らざる九国のそう 追捕使ついぶしかう して、鎮西を張り行ひ、狼藉らうぜき はふ に過ぎければ、九国 げて訴へければ、或いは為朝に て、或いは判官はんぐわんおほ せて、召さるるといへども、不参ふさん なりければ、そのとが によって、判官解官けくわん ぜられ、さきの 検非違使けびいし になりてけり。
多くの兄をさしおいて、父為義が強く推し、上皇もまた特に取り立てたなどは、この為朝の武勇ならびなきによる。
いったい、この為朝は幼少の頃から手のつけられない乱暴者で、兄といえども容赦しない。自分勝手な振舞いには父も扱いかねて、 「あいつを都に置いたのでは何をしでかすかわかったものではない」 というわけで鎮西へ追いやった。為朝は十三歳の時から豊後国に住んで阿蘇平四郎忠景のになり、九州全域を従えようとしたが、そうは簡単には征服することが出来なかった。菊池や原田を始として、方々に砦を築き、戦闘準備におこたりなかった。しかし、為朝の戦上手は生まれつきと言うべきか、砦を攻め落とし、敵を征服することでは他に引けを取らず、ここかしこ攻めに攻め戦って、三年もたつうちにはすべて征服し尽くし、朝廷からのお許しもないのに九国の惣追捕使と自称して鎮西を支配した。乱暴は目に余り、九国こぞって訴え出たので、朝廷も、直接為朝にあて、あるいは判官に命じて召集をはかったが、為朝は応じない。為義はその科により解官のはめになり、前検非違使になり下がった。
為朝、この事を伝へ聞きて、 「こはいかに、奇恠きくわいおぼ されば、為朝をこそいかなる死罪しざい 流罪るざい にも行はれめ。とが もましまさぬ判官殿の、罪をかうぶ りたまふらんこそあさましけれ。まい りてちん じ申さん」 とて、には上洛しやうらく しければ、九国のともがら大略たいりやく とも すべきよし申しけるを、 「身の科をちん じ申さんために参る者が、大勢引き具しては、 『為朝こそ九国の大勢を催してのぼ るなれ。謀叛むほん を起こさんとするか』 など、讒言ざんげん を蒙りて、せん なし。志あらむ人々は、追ひて上るべし」 とて、ただ一人いちにん ぞ上りける。されども、為朝が影の形に従ふがごとくなるつはもの には、乳母子めのとご矢先払やさきはら ひの首藤すどう 九郎、山法師やまほふし還俗げんぞく したりける隙間あきま かぞ への悪七別当あくしちべつたう討手うつて城八じやうはち手捕てどり余二よじ与次よじ 三郎さぶらう高間たかまの 三郎・同四郎・留矢とめや源太げんだ 中次ちゆうじ 、三丁つぶて紀平次きへいじ 大夫たいふ大矢おほや の新三郎・金拳かなこぶし の八平次、これらをはじめとして、一人当千いちにんとうせんつはもの 十七騎、都合つがふ 五十余騎には過ぎざりけり。
為朝はこのことを伝え聞いて、 「これはまた不可解なことよ。けしからぬことをお考えなら、張本人の為朝を死罪流罪に処されたらいいものを。罪のない判官殿を罰せられるなど理に合わない。このこと参内して申し立てよう」 と言って、あわただしく上京を思い立ったので、九国の多くの者どもが御伴を申し出たが、 「我が身の科について申し立てようとする者が、大勢の者を引き連れて参上したのでは、 『為朝は大勢の者を召集して上京の由、謀叛に間違いない』 などとあらぬ疑いをかけられてはたまらない。どうしてもと言うのなら、後で上京するがよい」 と言って、たった一人で都に向かうことにした。しかし、為朝に離れず従う兵士は、乳母子の矢前払いの首藤九郎、山法師の還俗した空き間数えの悪七別当、討手の城八、手捕の余二、与次三郎、高間三郎、同四郎、留矢の源太、佐中次、三丁礫の紀平次大夫、大矢の新三郎、金拳の八平次、これらを始として、一人当千の兵十七騎と、それでも五十余騎ほどは合流して伴をすることになった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ