この為朝、数輩
の兄を閣さしお きて、父、これを挙きよ
し申ししかば、別して仰おほ せを蒙る事、実まこと
に武勇ぶよう の道抜群ばつぐん
によってなり。 およそ、この為朝、幼少より、もってのほかの荒者あらもの
にて、兄どもをも事とせず、我一人いちにん
世にあらむとしけるあひだ、判官、持も
て扱あつか ひて、 「奴きやつ
を都に置きては、一定いちぢやう
僻事ひがごと 仕し
出い だしてんず」 とて、鎮西ちんぜい
へ追ひ下す。十三の歳とし より、豊後国ぶんごのくに
に居住きよぢゆう して、阿蘇あそ
平四郎へいしらう 忠景ただかげ
が聟むこ になりて、九国を靡なび
けんとするに、誰たれ かは左右さう
なく従ふべき。菊池きくち ・原田はらだ
を始として、所々に城郭じやうくわく
を構へ、国々に引き籠こも る。ここに為朝、生まれ付きたる事にや、城じやう
を落とし、敵を強し へたぐる事、世に超え、人に勝すぐ
れたりけるあひだ、ここかしこに推お
し寄せ推し寄せ攻めけるに、三年が間に、残るところなくうち随したが
へて、上かみ よりも賜たまは
らざる九国の惣そう 追捕使ついぶし
と号かう して、鎮西を張り行ひ、狼藉らうぜき
法はふ に過ぎければ、九国挙あ
げて訴へければ、或いは為朝に宛あ
て、或いは判官はんぐわん に仰おほ
せて、召さるるといへども、不参ふさん
なりければ、その科とが によって、判官解官けくわん
ぜられ、前さきの 検非違使けびいし
になりてけり。 |
多くの兄をさしおいて、父為義が強く推し、上皇もまた特に取り立てたなどは、この為朝の武勇ならびなきによる。 いったい、この為朝は幼少の頃から手のつけられない乱暴者で、兄といえども容赦しない。自分勝手な振舞いには父も扱いかねて、
「あいつを都に置いたのでは何をしでかすかわかったものではない」 というわけで鎮西へ追いやった。為朝は十三歳の時から豊後国に住んで阿蘇平四郎忠景の聟になり、九州全域を従えようとしたが、そうは簡単には征服することが出来なかった。菊池や原田を始として、方々に砦を築き、戦闘準備におこたりなかった。しかし、為朝の戦上手は生まれつきと言うべきか、砦を攻め落とし、敵を征服することでは他に引けを取らず、ここかしこ攻めに攻め戦って、三年もたつうちにはすべて征服し尽くし、朝廷からのお許しもないのに九国の惣追捕使と自称して鎮西を支配した。乱暴は目に余り、九国こぞって訴え出たので、朝廷も、直接為朝にあて、あるいは判官に命じて召集をはかったが、為朝は応じない。為義はその科により解官のはめになり、前検非違使になり下がった。 |
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為朝、この事を伝へ聞きて、
「こはいかに、奇恠きくわい に思おぼ
し召め されば、為朝をこそいかなる死罪しざい
流罪るざい にも行はれめ。科とが
もましまさぬ判官殿の、罪を蒙かうぶ
りたまふらんこそあさましけれ。参まい
りて陳ちん じ申さん」 とて、俄には
に上洛しやうらく しければ、九国の輩ともがら
、大略たいりやく 供とも
すべきよし申しけるを、 「身の科を陳ちん
じ申さんために参る者が、大勢引き具しては、 『為朝こそ九国の大勢を催して上のぼ
るなれ。謀叛むほん を起こさんとするか』
など、讒言ざんげん を蒙りて、詮せん
なし。志あらむ人々は、追ひて上るべし」 とて、ただ一人いちにん
ぞ上りける。されども、為朝が影の形に従ふがごとくなる兵つはもの
には、乳母子めのとご の矢先払やさきはら
ひの首藤すどう 九郎、山法師やまほふし
の還俗げんぞく したりける隙間あきま
数かぞ への悪七別当あくしちべつたう
、討手うつて の城八じやうはち
、手捕てどり の余二よじ
・与次よじ 三郎さぶらう
・高間たかまの 三郎・同四郎・留矢とめや
の源太げんだ ・佐さ
中次ちゆうじ 、三丁礫つぶて
の紀平次きへいじ 大夫たいふ
・大矢おほや の新三郎・金拳かなこぶし
の八平次、これらをはじめとして、一人当千いちにんとうせん
の兵つはもの 十七騎、都合つがふ
五十余騎には過ぎざりけり。 |
為朝はこのことを伝え聞いて、
「これはまた不可解なことよ。けしからぬことをお考えなら、張本人の為朝を死罪流罪に処されたらいいものを。罪のない判官殿を罰せられるなど理に合わない。このこと参内して申し立てよう」
と言って、あわただしく上京を思い立ったので、九国の多くの者どもが御伴を申し出たが、 「我が身の科について申し立てようとする者が、大勢の者を引き連れて参上したのでは、
『為朝は大勢の者を召集して上京の由、謀叛に間違いない』 などとあらぬ疑いをかけられてはたまらない。どうしてもと言うのなら、後で上京するがよい」 と言って、たった一人で都に向かうことにした。しかし、為朝に離れず従う兵士は、乳母子の矢前払いの首藤九郎、山法師の還俗した空き間数えの悪七別当、討手の城八、手捕の余二、与次三郎、高間三郎、同四郎、留矢の源太、佐中次、三丁礫の紀平次大夫、大矢の新三郎、金拳の八平次、これらを始として、一人当千の兵十七騎と、それでも五十余騎ほどは合流して伴をすることになった。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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