新院、母屋
の御簾みす を引きほころぼして叡覧えいらん
あり。竜顔りゅうがん 頗すこぶ
る靨ゑつぼ に入らせたまふ。左大臣殿さだいじんどの
、大床おほゆか に候さぶら
ひたまひけるが、遥はる かに見出みい
だして、笑ゑ みまけて、 「為朝、既すで
に参りて候ふ。span>実まこと にゆゆしき兵つはもの
にて候ひけり。一人当千いちにんたうぜん
とはこれをこそ申し候ふらめ」 とて、もつてのほかに御感ぎよかん
あり。 「為朝、合戦の次第、計らひ申せ」 と仰せ下さる。畏かしこ
まって申しけるは、 「為朝、幼少えうせう
より鎮西ちんぜい に居住きよぢゆう
仕つかまつ りて、合戦に遭あ
ふ事、既に二十度に余り、30度に及ぶなり。或いは敵かたき
を落とし、或いは敵に落さる。しかるに、毎度勝かつ
に乗る先蹤せんじよう を勘かんが
ふるに、夜討ようち にしかず。天の明けざる先に、内裏だいり
高松殿たかまつどの に押し寄せて、三方に火を掛け、一方より攻めんずるに、火を遁のが
るる者は矢を遁れず、矢を遁るる者は火を遁るべからず。舎兄しやきやう
にて候ふ義朝よしとも ばかりこそ、手て
甚いた く防ぎ候はんずれ。それをば、為朝、真中まんなか
仕りて射落しなんず。そのほかの奴原やつばら
をば、太刀たち 引き抜きて真中に駆か
け入り、遠からん者をばさしおよびて、片手打ちに切りては落とし切りては落とし、薙な
ぎ落とし、払ひ落し、近付く者をば掻か
い掴つか うで、下さ
げ切りに切りては落とし、切りては捨て、或いは頸くび
捩ね ぢ切り、腕かいな
引き抜き、引き割さ きなどして、馳は
せ廻ねぐ らば、行疫神ぎやうやくじん
はいざ知らず、誰たれ かは面おもて
を向ふべき。まして、清盛きよもり
などがへろへろ矢は、物の数にてや候ふべき。その時、定めて、行幸ぎやうかう
他所たしよ へなり候はんずらん。御輿こし
に矢を進まい らせ候ふべし。これ、為朝が放つ矢にて候ふまじ。天照大神てんせうだいじん
・正八幡宮しやうはちまんぐう
の放させたまふ御矢にて候ふべし。駕輿かよ
丁ちやう 、矢に恐れて御輿を打ち捨て奉り、逃げ散り候ひなん。その時。行幸をこの御所へなし奉る事、時剋じこく
を廻めぐら すべからず」 と、詞ことば
を放ち、ものげもなく申しける。 |
新院は、母屋の御簾のすそ辺りをかき分け御覧になったが、ご満足気であった。 左大臣殿は大床にひかていだしたが、遠くから為朝を見つめ、にこりとして、
「為朝はや参上したか。誠にすばらしい武士よ。一人当千とはこのような者をいうのだろう」 と、大変な感激ぶりであった。 「為朝よ、戦略につき考えるところを述べよ」
と、お命じになる。為朝はかしこまって言上ごんじょう
するには、 「自分は幼いころから鎮西に居住して、合戦に出陣したこと、二十回は軽々と超え、三十回に及ぼうか。勝利したこともあれば、敗北したこともある。この経験から、勝ち戦は夜討が一番と確信している。天の明けぬうち、内裏高松殿に押し寄せ、三方から火を放ち、残した一方から攻めたなら、火を遁れても矢を遁れることはできますまい。兄の義朝のことだから強硬に反撃してくるにきまっている。そこで、自分は軍勢の真ん中で指揮をとり、義朝を射倒そうと思う。その他の奴やつ
ばらは、太刀引き抜いて真正面から斬き
り込み、離れている者はおびき寄せ、片手斬りでなぎ落とし、払い落とし、近付く者はひっつかみ、さげ斬りに斬り落とし、斬っては捨て、あるいは首をねじきり、腕を引っこ抜き、引き裂きなどして馳は
せまわろうものなら、行疫神はさておいて、誰も敵対しようとは思うまい。まして、清盛ふぜいのへろへろ矢など物の数ではなかろう。もはやこれまでと、天皇をよそへお移ししようとするにちがいない。その時は、御輿に矢を射込むまでよ。この矢は為朝が放つ矢ではない。恐れ多くも天照あまてらす
大神おおみかみ 、正八幡宮がお放ちになる矢と思うがよい。駕輿丁は飛びくる矢に恐れて、御輿をそのままに捨て置いて、逃げ散るにきまっている。その時、素早く天皇をこの御所へお連れするまでよ」
と、何はばかることなく言い放った。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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